トッププロと十番勝負〜かささぎさんのノーテンキな初夢・その2

 後半戦のトップバッターはオーメン。本因坊、王座といずれも一期で失冠したが、彼はすぐにのめりこむ半面、興味が長続きしない性格。七大タイトルを一つ一つ年代わりで賞味していく所存らしい。次のターゲットは名人か、碁聖、十段か。碁の内容はここ数年、プロの関心を集めるトップの一人。だから彼が主宰するオーメン研究会は大繁盛しているらしい。

 今最も打てているオーメンを迎えて、かささぎさんは布石に凝った。自分と相手が直前に打った着手とはまるで離れた場所に必ず打つのだ。そう、魚がいそうなポイントに釣り名人がテグス(天蚕糸と書くらしい)を思い切り遠くへ放り投げる感じ。それを見てオーメンの目が光った。そういう面白そうなことならボクは決して負けない。故郷台湾での少年時代、いたずら比べではいつも自分が一番だった。もっときれいに遠くへ投げてやる!童心をむき出しにしてオーメンは次々に石を散らばらせ始めた。かささぎさんも挑発をやめない。黒白の石は盤上を激しく行ったり来たり。当然、釣りで言う“お祭り”(釣り糸が絡み合う状態)があちこちで生じる。オーメンはそれでも構わずテグスを遠くへきれいに飛ばそうとシャカリキになって、もう収拾がつかない。くんずほぐれつの闇試合の果て、テグス投げ合戦に負けたかささぎさんが碁を勝ち切った。

 次なる相手は変幻オーリッセー。現役棋士の中では最も勝ちにくい相手かもしれない。白番のかささぎさんは徹底して地を稼ぐ。それも絶対に目減りしないように堅く堅く。当然リッセーの黒石は伸び伸び全局を圧倒し始める。石の効率が違うことがザル碁の私にも明々白々だ。 序盤から中盤に入る頃、どうひいき目に見ても苦戦のかささぎさんは、突如「オーリッセー」と声を張り上げ、パチっと盤の端っこに着手した。リッセーが構えた三連星の辺の石の二路下。何と、それこそかささぎさんが某サイトの名物管理人M師匠を「そんな手はありませんよ!」といぢめて泣かせてしまった「オーリッセーの手」ではないか。彼は他人にはこんな手はないと言いながら、密かに効用を見出してこっそり研究していたらしい。リッセーはギョッとした顔でその石をにらみ、長考に入る。そしてみるみる耳が真っ赤に染まっていく。どうみても、自陣深く潜り込んで来た「オーリッセーの手」をとっちめる手段がないのだ。これを契機にリッセーはあちこちで局面の複雑化を図るが、模様を中心を根こそぎからがらがらにされた痛手から最後まで立ち直れなかった。

 そして後半の山場はチクン大棋士。ゴセーゲン、サカタ、シューコーらと並ぶ昭和の碁聖を相手に、黒番のかささぎさんは行儀良く大型定石を並べていく。左上は大ナダレの中でもひときわ難解、“地獄を見る”とされる「外マガリ」。と、かささぎさんが定石手順を外した。大棋士の手が止まる。4時間打ち切りの碁で1時間を超える長考。アマの定石外れを咎めて、さすがにコミ半分ほどの成果を挙げる。右上は百変・大斜。ここでもかささぎさんは途中で定石を外す。大棋士はまたまた大長考の果てにコミ半分ほどの成果を挙げる。そして左下は妖刀ムラマサ。かささぎさんはまた間違えた。

 「これはわざと定石を外している」ーー私は気付いた。チクン大棋士たる者、プロの沽券にかけて百点満点の模範解答を示したい。しかし定石手順ならノータイムで打てるが、定石外れには周囲との関係も考えてあれこれ考えて対応しなければならない。しかも後々まで「これで良かったのか」と思いを引きずることになる。だから彼は、他の場所に石が向かっていてもチラチラ振り返ってこれで良かったのか、既存の着手を100%活かすにはこれでいいのかと、気になって仕方がない。勝ち負けよりも棋理に則しているかどうか、現在進行中の次の着手よりも過去の着手の正当性にこだわり始めたのは真理探究型の大棋士ならでは。そしてとどめは右下。今ではすっかり廃れた小ナダレの変形版が出現。互いに抜き合って一段落する旧来の形を避けてかささぎさんは急所へのオキから変化に出る。妥協を嫌う大棋士はここでも100点満点を目指して苦吟。序盤で早くも1分碁になった。コミ2つ分の優位を得たものの、終局までの百数十手の間、大棋士は時間との闘いで断末魔の悲鳴を上げ続ける。そして昔の“1分碁の神様”はやはり人間だった。

 9人目に満を持して登場したのはコーイチ。かささぎさんの打ち碁を徹底的に調べ上げ「これは大したことはない」と踏んだか、大タイトル戦とは打って変わって余裕の微笑み。かささぎさんは序盤からコーイチのお株を奪ったつもりで“速攻地下鉄作戦”を展開するが、コーイチは「もうそんなことにはこだわりません」と、明るく賢くさっさと碁を決めていく。チクン大棋士とは違って時間もたっぷり余らせて。序盤から中盤への入り口で早くも大差。かささぎさんが真っ赤な顔して考え込む間、盤側に世間話などを話しかけてニコニコしている。

 かささぎさんの反撃は摩訶不思議な「オキ」一発から始まった。「ン?!」、コーイチの手が止まる。そして「まあいいか」とつぶやいて少し妥協する。2、3目ほど損しても終局に向かうことをひたすら優先、このあたりがチクン大棋士との決定的な違いだ。かささぎさんはここで、相手の着手にいちいち首を振り始めた。相手の着手に納得すると言うより、「私の想定した通り」との意思表示。好敵手の私だけが知っている、「かささぎのオキ」に次ぐ「かささぎのウナヅキ」はおそるべき新兵器なのだ。相手は知らず知らず、かささぎさんの掌に乗った打ち方をしてしまう。厳しいコーイチの手が緩み始める。形勢は多少接近するが、コーイチは「それでも勝利には一番手堅い道」と信じて動じることはない。

 かささぎさんは首を振りながら小さい声で何やらつぶやき始めた。「ホッホーのホッカイロー」「十年たったらコーイッツアン」ーー。注意深く聴き取ればこんな無意味なつぶやき。しかしコーイチの目が心なしか潤んでいるように見える。北海道から上京して辛苦を重ねた修行時代、チクン大棋士に先行されて十年後の逆転を目指した青年時代、棋聖七連覇の成就・先夫人との死別と再婚を経た中年時代など自分の人生が走馬灯のように頭の中を駆け巡っているらしい。

 とどめは「ホッホーのホーインボー」。勝負師コーイチの目はいまや涙腺が弱くなった平凡な中年オヂさんのまなこに変わった。愛娘イズミと俊才チョーウとの結婚、そして本因坊リーグでの快進撃と親子対決への展望に心が完全に移ってしまったのが盤側からでもわかる。これぞ、かささぎさんの新秘技「かささぎのツブヤキ」。その後、コーイチの口からは二つの言葉しか出なくなった。「お菓子買ったか」「バカダッタの盗賊」。かささぎさんの秘技に対するせめてもの抵抗「コーイチのボヤキ」ーー。

亜Q

(2003.12.27)


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