剣持丈七段に罵倒されるベンヤミン君 |
自分以外皆ライバルのプロ碁界にあって、気の合う同士が切磋琢磨する研究会の存在は貴重だ。中でもこの6年間、毎週欠かさず続けてきたと言う「オーメン研究会」はその代表的存在だろう。オーメン王座と口を利いたことは1、2回しかないが、その人柄はテレビ解説そのままに思える。裏も表もなくハキハキと誠実、碁と日本のファンをとても大切にしている気持ちが伝わってくる。しかも彼は「プロ棋士が“最も気になる棋譜”を創造する一人」(千寿先生)。ザル碁の私には糸の切れた凧のようにも見えるが、着手の一つひとつがプロ棋士には魅力のようだ。
オーメン王座の人柄と独特の感性を慕って研究会に参加する棋士は常時10人を超えるという。バリバリの中堅・若手プロからオンドラ君やベンヤミン君らの院生クラス、さらに小西和子、榊原史子といった関西棋院の女流連が東京での手合いのつど立ち寄っていく格好の止まり木でもあるらしい。
この研究会のオーナーがジョーこと剣持丈七段。棋聖戦が始まった頃、各段戦を矢継ぎ早に連覇して名を挙げた。セーケン、キミオ、ガンモといった実力中堅どころの兄貴株でもある。彼は高円寺の自宅をいつでも開放し、6年間、300回を超える研究会に欠席したのは入院した時1回のみとのこと。恒例の焼肉パーティーでは、食事を抑制している彼はもっぱら肉を焼く係。牛肉を一切受け付けない台湾出身の黄五段のために、わざわざ豚肉の料理も考えるという。
高梨−ベンヤミン戦の棋譜(87手以降省略) [剣持先生評] 黒10: 悪くはない手だが、5三に突き出して、3四にツケたいところ。 黒28: 黒26で力をためたところなので、白17の右に割り込む。 黒32: 決めずに36にハイ込む。後に白25と黒26が、中央に向かってトビトビになったとき、下辺中央の白をねらって、白31の左にハネ出す手がなくなる。手を抜いても、白はカケツグぐらい。 黒42,44,46: 内側と外側の交換で良くない、特に黒44は本局の最悪手。白45の一路上、外からノゾクべきところ。 黒50: どちらかのハネしか考えないところ。 黒54: 黒50と一致していない。 黒56: 59にツガなければならない。 黒89を見て、丈先生はこれ以上解説する気をなくしたようです。この対局がベンヤミン君の3目勝ちで終わったのは、投げないので聖健先生の打つ気がなくなったからで、投げろと一喝。付け加えると白85で8七にノゾけば終わっていた。(文責:かささぎ) |
盤外では温かい配慮を見せる彼だが、本来の研究会では鬼軍曹の役割を一手に引き受けている。「オーメンプロが誰にでも優しい分、ボクは徹底的にしごき役に回る」。その愛の鞭を最ももらったのはハンス・ピーチだったらしい。ピーチにとって日本の母親、叔父にあたる千寿、覚という最高の師匠のそばにいながら、入段当時は欧州出身棋士によくある腕力碁。これを徹底的に叩きのめしたのがジョー。碁盤の上だけでなく、日本流の礼儀作法がきちんとしていないと本物のゲンコツもしばしば飛んだらしい。
ピーチはこの日本の兄貴にずいぶんなついたようだ。自転車に乗ってジョー宅に通いつめ、「ジョーは肥り過ぎだからこれを食え」と玄米を持ってきたり、朝一番、牛乳と麦飯を混ぜて煮込んだ手製のオートミールみたいなものを無理矢理食べさせたりしたと言う。
そして今、ピーチの代わりにベンヤミン君がいる。彼はいったん碁を断念してドイツの大学に入学、しかしこの夏、千寿先生が墓参を兼ねてピーチの親元を訪れた際に再会してプロ棋士への道を選んだ経緯がある。いわばピーチの“生まれかわり”。
4日の千寿会ではベンヤミン君がセーケン八段の胸を借りた3子局が並べられた。大盤解説に当たったジョーの愛の鞭はひときわ厳しく風を切る。「この手は何で打ったのか理由をきちんと言え!」「そもそも今の時期に勝とうなどと思うな、徹底的に戦い抜け」「ここへ石が行くようでは碁盤をひっくり返される」とあらん限りの罵倒を浴びせる。千寿先生が思わず彼の気持ちを忖度して弁解してあげたりするが、ジョーは一切聞く耳持たず。と言っても、ベンヤミン君はジョーの日本語を半分も理解してないようだったが。
そこでジョーの説教は碁盤外に飛ぶ。「いいか、お前。碁を並べるときには最初にきちんと挨拶しろ」「日本では日本の、碁には碁の作法がある。手抜きは許さん」「それから俺が何か言ってもぽかんとするな、早く日本語をちゃんと覚えろっ!」こんな言葉の爆弾が高射砲のように炸裂したが、私の頭の容量には限界がある。とても全部は覚えていない。
亜Q
(2003.10.5)