奇士・米長邦雄を悼む

日本将棋連盟の米長邦雄理事長が69歳の若さで亡くなられた。

文化勲章だったか何だったか、受賞祝いの席で、天皇陛下ご夫妻に「自分の最大の使命は、全国民が国歌と国旗を敬愛するようにすることです」などと言って物議をかもした。前東京都知事の石原慎太郎氏と並んで、善悪を超えてとても潔く強烈な個性をいつも発揮されていた。

加齢による衰退が囲碁よりはるかに早いとされる将棋で、当時絶頂期にあった中原誠名人に49歳で挑戦、見事名人位を奪取されて将棋の歴史上最年長名人になった。その後連盟理事長に就任、組織改革をはじめ、女流棋士の独立の動きなどを独特の強腕でまとめられた。そしていかにも彼らしいと感じるのは、急速に進化する将棋ソフトに自ら挑戦、あえなく敗れた。「機械などオレの策戦には歯が立つまい」と思っていたのか、もしかすると「真っ先に恥をかくのは自分であるべきだ」と達観されていたのか、それはわからないが、私はこんな生き方が大好きだ。

こうした表向きの足跡とは別に、少しばかりひねくれた見方を固持する私には、3歳年上の奇矯なライバル加藤一二三さん(最年少名人に就位された天才)と意地をかけた「みかん対局」、目をかけた後輩の窮地をあっと驚く企画で助け舟を出した週刊新潮の50周年記念コラム(参考1参考2
などがさらに強く印象に残っている。そして、おそらく彼でなくては考え付きもしない、そして実行もできない大胆な人事(囲碁棋士の小林千寿五段を日本将棋連盟理事に迎えた)は、千年も昔から日本文化の代表とされた「琴棋書画」を復興させようという彼一流の壮大な夢の一里塚だったかもしれない。

「さわやか流」と言うより「泥沼流」が私にはぴたりと当てはまる米長永世棋聖、やすらかに眠れ。

亜Q

(2012.12.18)


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