シャトルと前名人がもてあましたウックンの強さ

 「チョーウ」と呼ぶより、「ウックン」の方がずっと可愛い。姉さん女房のイズミちゃんはきっと、「ウックン」を選ぶだろう。

 このウックンを初めて見たのは、私が碁にのめりこみ始めた10年ちょっと昔。毎週水曜日、市谷からほど近い会社を抜け出して3時だか4時に始まる「有段者講座」を受講した。講師は今は亡き菅野正規七段。いつも酔いどれ気味だったが、独特の温かみのある先生だった。

 講義が終わって日本棋院2階の自由対局室に行くと、夕方手合いを終えた院生たちがぞろぞろ降りてくる。集団の中心で大声を出しているのはヤッシー。何やらウル目気味のシブシブのマッチーを励ましているらしい。ウックンはいつも黙って座ってヤッシーやマッチーの話を聞いている風情だが一言もしゃべらない。何と言っても、その鋭い目は忘れられない。名前も出身地も知らず、この子は絶対強くなると確信した。

 時は巡り、「日本棋院80年祭」が開かれた2004年11月、ウックンは本因坊に名人、さらに王座も防衛寸前。人気はあまたのトッププロの中でも群を抜く。そして何と、この私がウックンと握手してしまった。女性みたいに華奢でやわらかい。意外なことに私は、男性と握手するのが好きだったようだ。30年ぐらい前に握った、ギター弾き語りの盲目歌手・長谷川キヨシの手とそっくりの感触だった。

 ところで、大勝負を控えた棋士と軽々しく「握手」などしていいのだろうか。私は愕然とした。翌々日の18日、ウックンは山形県で最大のライバル山下敬吾を迎えて王座戦第2局を予定していた。こう見えても私は気が回る方だから、棋士と握手はもちろん、声をかけたり目を合わすこともはばかる。贔屓のヨタロー前名人にせよ、ワイシャツはみ出しユーキにせよ、たしなみ深く「目礼」が限度だ。むろん、シャトルにもチーママにも声をかけない。雑事に気を回さず、ツキが落ちないようにーー。

 慎み深さでは人後に落ちない私が、大勝負を控えたウックンにしたのは握手だけではない。帯坂をウックンと帰るイズミちゃんに「『ウックン』と呼んでいるのか」とバカなことを聞いたのだ。正直に言おう。私がウックンの立場だったら、この中年オヤジに少しは腹を立てるだろう。ところが何と言ったらいいか、ウックンは“ぴりぴりした感じ”が皆無なのだ。ただニコニコしているばかり。しばらくの間、これだけの“平常心”と“度量”を持つウックンに大勝負で勝てる棋士はいないのではなかろうか。

 ザル碁アマの思い込みだが、ウックンがここまで来るには2つの重大な節目があった。一つはこの10月札幌で行われた名人戦第4局。ヨタロー名人は実質的に、ここで嫌気がさした。もう一つは名人リーグ戦の最終クール、チクン大棋士との第8局。陥落を決めていたチクンが格違いの強さを見せつけ、ウックンはほぼ“死に馬に蹴られ”た状態だった。こんな表現は差し障りがあるかもしれないが、何、チクン大棋士はそんなことは気にしない。

 「タラレバ」の世界になるが、ウックンは名人になるどころか、挑戦者すら危うかった。では彼は単に運に恵まれ、勢いに乗っただけだろうか。きっと、そうではない。並み居る棋士の中で彼ほど“色や汚れや疲労”がなく、ぴりぴりムードを感じさせない棋士は珍しい。純粋な志、素直な向上心、そして飾り気のない自然体ーー。勝負師の条件を完璧に持っているようだ。

亜Q

(2004.11.19)


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