「同時並行親子対局」はいかが?

碁友から「郵便碁」を薦められたことがあります。毎日のように葉書をやり取りしても、 1局百数十手を打ち終えるのに1,2年かかる。この時世に悠長な話ですが、 のめりこむと結構面白いらしい。力量互角の相手なら黒番・白番対局を同時進行させたり、 何人かの同好の士との多面打ちも可能。 次々に更新される生の「次の一手」が待ち遠しくて毎日郵便箱をのぞくのが 楽しみになるのだそうです。もちろん、余白に互いの近況を一筆書き加える風情溢れた喜びも含めて。

けちでせっかち、心のゆとりの乏しい私は葉書代をすばやく計算、 せっかくのお誘いを即お断りしましたが、代わりに別の楽しみ方を思いついてしまいました。 何も郵便に限る必要はない。生碁でもネット碁でも、1度に碁盤を2面ないし3面用意しておく。 1局の碁には必ず何回か分岐点が生じます。こうも打ちたい、 別の考え方もあるが善悪は不明。それならば互いの合意の上で、 その時点から枝分かれした2つの碁を並行して打ち続けるのです。 この枝分かれをあまり頻繁にやっては感想戦と変わらなくなるし、 そもそも頭が混乱するばかりです。できれば両者が1度ずつ行使できるのが望ましい。 となれば、元の碁(親対局)、枝分かれした子対局用2面と合わせて、碁盤が3面必要になります。

言い訳めきますが、ここまで書いた私自身「本当かな」と懐疑的であることも事実です。 長考派の趙治勲王座ならずとも、プロ棋士なら誰しも、 手を考えるよりも着手候補の比較検討に時間を費やしている。 言わば「雑情報をいかに捨て去って1つに絞るか」こそが碁の醍醐味であり潔さでもある。 あれもこれもと手を出したがるのは所詮「邪道」でしょう。

しかし、アマはそれほど対局機会があるわけではない。 対局中にキャッチした貴重な問題意識も後では思い出せないことが多い。 ザル碁党とはいっても棋理追求の精神は多少は持ち合わせている。 1つの対局で枝分かれの行く末も確かめることができれば、 棋力に応じた納得(勉強)は十分にできるはずです。一方、純粋に勝負を楽しむにし ても、同時並行3局すべて勝ち切れるかどうか。勝ち切った場合の満足感は3倍。 2勝1敗あるいは1勝2敗なら「碁は広い」と改めて碁の素晴らしさを称える。 3敗ならばいっそすがすがしい――。 とすれば、「同時並行親子対局」の興趣はなかなかのものだと思うのですが。

K

(2002.2.6)


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