天龍八部の珍瓏 の続き

「岡崎由美先生と行く中国の旅」で雲南まで行ってきた。
 主目的は、大理にある「天龍八部影視城」。金庸原作のドラマ天龍八部の撮影所だ。
 ドラマ作成のため、一億元以上かけて撮影所を作ってしまう。そしてそこは観光地となってにぎわう。他にも射鵰英雄伝では桃花島「射雕英雄伝旅游城」と「桃花塞」。神鵰侠侶では象山「象山影視城」。
 金庸小説は昔は発行禁止だった。共産党を揶揄しているといわれた。ところが許可されるや一転、中国の看板になってしまった。
 岡崎さんはその金庸小説を訳し紹介した人である。

 05年撮影。門の対聯は前に雲松書舎で説明している。
 あとで聞いた話だが、門を入ろうとしたとき、ガイドが門の対聯の説明を始めた。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。時間が惜しい。
 説明なしで対聯の意味が判るオタク的な人たち12名と、岡崎さんと添乗員の団体旅行だった。
 この旅行記は雲南憧憬に書いている。
 この城に珍瓏を中心とした碁の一画がある。

 ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。

「大理旅游杯」第一回世界女子プロ棋戦の参加棋士のサインである。この棋戦の第二回以降は開かれているのか。
小西和子・青木喜久代・祷陽子・万波佳奈・矢代久美子・ゼイノイ・謝依旻の名がある。
2006年11月14日

 この石碑の後ろに無崖子の珍瓏棋局図がある。
 前に「天龍八部の珍瓏」という一文を書いたことがある。そこではいろいろ考察したが、一応決定版が判った。

 珍瓏図。糸は切れ図がゆがみ、鉄はさび、あまりにみすぼらしい。
 かなりの打ち手である蘇星河が、30年研究しても解けない。小説では、その珍瓏は、
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。

 この図にセキはなく、上の条件を満たしていない。
 この左下は、評判の高い江戸時代の珍瓏に似ている。
 白番である。虚竹(こちく)はでたらめに石を置く。
 見にくいが、少し時間をかければ、多くの棋客が、左下に目がいこう。左下は白番の詰め碁「白先黒死」。手抜きは黒が白を取って活きてしまう。
 虚竹が打ったのは2−十七、一目抜きである。黒は3−十七ウッテガエシ。ここまでは考えるまでもない。判りやすく図にする。


 この後白が数手を打って終局となる。白は3−十八キリを打って左下の黒を殺したはず。手抜きは黒カケツギで生きてしまう。これだけのことを30年研究して判らないとは。
ドラマの蘇星河の棋力はアマ初段に届かないとみた。

 ドラマで段誉がここに来たときは右の図であった。
 7−十七ウチカキが入っている。これでは黒は2−十八カケツギで活きてしまう。7−十七は不要の一手であった。ドラマではここで白番である。黒は7−十七を打たれたとき、どうして活きなかったのか。おそらく、撮影の手違いであろう。
 わたしは、この場面のためにこの珍瓏を作ったことを高く評価している。わたしの知る限りだが、他では碁の図はでたらめばかりだ。
 日本では、「篤姫」の碁の場面を梅沢由香里が監修して、高い評価を得ている。こういうところがでたらめだと、他の場面もでたらめではないかと思ってしまうのだ。
 ただ、せっかくこれだけの珍瓏図を作りながら、ドラマ撮影の扱い方はお粗末。残念だ。

 続いて碁の絵。その前に「珍瓏棋局」の説明。この写真の右には無崖子居。

 無崖子居。ドラマでは妙に生活実感のない家だと思ってはいた。死んだと思わせ密かに生活していたのだ。家前の碁はドラマとは無関係。さらに右に無崖棋廬が続いている。

 無崖棋廬の中に碁盤があった。碁笥は使いにくそう。これでも碁笥と言うのかな。
   …………………………

 補足と訂正:「天龍八部の珍瓏」に書いた以外に、ドラマの天龍八部ではもう一カ所碁のシーンがある。段皇帝が黄眉和尚に段誉の救出を頼むとき碁を打つ。これは石の持ち方打ち方が自然であり、今回見るまで気がつかなかったほど自然に流れている。黄眉和尚役の俳優は碁を知っている。
 訂正は、珍瓏を「天龍八部−第六巻 天山奇遇」と書いたが、正しくは「天龍八部−第五巻 草原の王国」だった。

謫仙(たくせん)

(2009.9.7)


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