韓国から帰ってきたかささぎさんが小鼻をぴくつかせている。
そうか、彼は特派員としての成果を聞いてほしいのだ。私はすぐに察した。
男らしく告白しよう。実はほんの少しの間、私はかささぎさんを疑っていた。
「韓国碁」と「韓国語」の相関を究明する使命をうっちゃらかすに違いないと。
韓国でどんな発見をしてきたの?私は精一杯の優しい目を向けてかささぎさんに尋ねる。
かささぎさんは待っていたとばかり、堰を切ったような早口でしゃべり出す。
「今度こそ正真正銘のプロに勝つ方法を見つけたんや、それも強いのを束にして」。
何だ、これは韓国特派の目的とは全然違うじゃないの。いったい何をしてきたのぉ?
キムチ焼肉だかキーセンパーティーだか、毎夜の狂乱でかささぎさんが気が触れたのではないか。
こんな時、私は責務を果たせなかった相手を責めるより、期待した自分を問い詰める。
そう言えば、最近彼をおだてて「ずいぶん強くなったね」と軽い気持ちでリップサービスをした。
無邪気なかささぎさんはすっかりその気になって、またあの夢を思い出したのだろうか。
この正月(正確には去年の暮れ)、トッププロに十番勝負を挑み見事9勝1敗で終えた他愛もない初夢。
言葉とは本来重いものだ。特に私のような寡黙かつ重厚な性格の人間が口にした場合は。
とすれば、私は何と罪深い男なのだろうか。知らず知らず他人を舞い上がらせてしまうとはーー。
そんな私の悔恨の気持ちなどついぞ気づかず、かささぎさんはテンションが上がり放題。
「ま、ボクぐらいになると、プロとの差は紙一重。勝負を決めるのは精神力と作戦力なンヤ」。
「ただし、1人ずつやっつけるのは面倒。束にして、つまり2人か3人一緒くたに負かすンヤ」。
どうやら、相手にペア碁ないし3人以上の連碁を組ませ、かささぎさんは1人で戦うらしい。
「ほなら、千寿先生と健二先生に勝てはる?」。いつの間にか私も関西弁が伝染している。
かささぎさんは意表を突かれた。「そんなん無理や、自分の師匠に勝つわけにはいかんヤン」。
しぶといかささぎさんはすぐ体勢を立て直す。転んでもただでは起きない子供だったのだろう。
「相手をこちらから指名するところがミソなんや」と、私の相槌を催促する。
「たとえば、カミソリ坂田と初物食いシューコー!」。ツバを飛ばしているのもお構いなし。
「昭和を代表する強豪同士は、打っているうちに互いの着手ばかり気になってくる」。
「当然、パートナーの打った手が気に食わない。となれば、敵はもはやパートナー」。
「ド素人のボクなど目ではない。パートナーが打った手を悪手にしようと躍起になる」。
「二人は勝敗より意地の世界に踏み迷って、おかげでボクの楽勝に終わるンヤ」。
ーーと、まあ、これが、特派員かささぎさんが韓国で悟りを得た新しい定説らしい。
「コーイチ、タケミヤでも同じや。人間関係は改善しても、碁となれば一流ほど頑固やから」。
「だから自分の価値観をパートナーに徹底的に思い知らせようと、両者がムキになる」。
「ボクとの碁など早いとこ済ませて、一刻も早く感想戦でパートナーをやっつけようとする」
ーーと鼻をまたうごめかしている。
サカタ・シューコー、コーイチ・タケミヤを打ち破ったかささぎさんの“絶口調”は止まらない。
「現在最高の成績を上げているチョーウ、ケーゴ、そしてヨタロー名人を組み合わせるんや」。
「チョーウとケーゴはそれなりにボクを負かそうとまじめに打ってくる。問題はヨタロー名人」。
「彼は途中で何だかバカバカしくなり、一人カヤの外で放心状態に陥る」。
「いつしか、目の前の碁に飽きて(あるいはあきれ果て)、自分の手番で突然投了するンヤ」。
――と、見てきたように超シンプルに決め付けるのは、かささぎさんの日頃からの得意技だ。
天性の勝負師・亜Qとしては黙っていられない。<それなら逆の目に張ってみたろやないか>。
「ほなら、チーママ、ケンヂの姉弟にシャトルを加えて負かしてみたる」と思わず口走っていた。
慮り深き私のこと、無論その場限りの戯言ではない。深いヨミの裏づけがちゃんとあるのだ。
ま、中盤までの5,60手ほどで、私が2,30目ほどの大差をつけられるだろうことは謙虚に認めよう。
しかし、である。シャトルがそのまま打ち続けるわけはない。必ず微妙に外してくる。
淡々と進行するのは面白からず。紛糾の要素を混ぜたり、徐々に差を縮めるように打ってくる。
そんな“配慮”に私は気付かず、真っ赤な顔で長考を重ねるが、チーママとケンヂはすぐ反応する。
シャトルと一緒になって、細碁にしようと苦心し始めるのだ。小林ファミリーならばきっとそうする。
そして最後の決め手は、シャトル。ニヤッと笑って自ら半目負けの道を選ぶのだ。
そう、これはシャトルの遊び心、義侠心、あるいは筋書きを変えねば気が済まない反骨精神。
それを瞬時に察して息を合わせ、素人には気づかせないように歩調を合わせるチーママとケンヂ。
かくして、何が何だかわからないうちに私の半目勝ちーー。こうなることを、私は確信している。
亜Q
(2004.9.20)