打ちかけ時の夕食メニュー

  名人戦七番勝負は互いに先番を入れ合って1勝1敗のタイになった。9月8日の千寿会では第1局を解説、「右辺1間に詰めた序盤の黒の1手(右図、黒1)が素晴らしかった」と健二さん、水間先生が一致したが、後日高梨聖健さんに聞くと正反対の感触。「名人は打つ手に困ってあそこへいったのではないか、僕にはちょっと違和感がある」と言い切り、「挑戦者はこの時点で多少楽観があったのかも。その後の打ち方が多少安易に流された可能性がある」とは、なかなかスルドイ。これだから碁は面白い。

 これに対して第2局は挑戦者の完勝だったらしい。テレビ解説の山城九段は負けた名人による「堂々たる敗戦」とちょっとアジな総括をされていた。非勢とわかっていてもじたばたせず、最後まで打ちたい手を打って何目の差になるかを確認した、その態度があっぱれだったと。「中京のダイヤモンド」と言われた山城九段ご自身も“堂々流”の棋風だから、これはきっと最高級の褒め言葉なのだろう。

 そんな折、たまたま新聞に正岡子規の『病床(原文は旧字)六尺』が載っていた(日経9月21日付夕刊)。子規が亡くなる3ヶ月ほど前、ささやかな庭が見える部屋に敷いた「六尺の病床」に寝たまま、起き上がるどころか、寝返りを打つことさえできない状態でこんな文章を書き残した。

 「余は今迄禅宗の所謂(いわゆる)悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事とは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」——。

 「平気」と題したこのコラムの筆者は俳人の長谷川櫂氏。「悟りというと、いつでも平気で命を捨てられる、そんな心の状態をいうのだと世間では思っているが、そうではなく、どんなに苦しくても“平気で生きて居る事”こそ悟りである」と子規の文章を読み解き、痛み止めのために飲むモルヒネの影響でしばしば錯乱に襲われ、肉体ばかりでなく精神までさいなまれていた子規は、「この“平気で生きる”というたった一つの支えによって、危うい命のバランスをどうにか保っていたのではないか」とひそかに想像し、「子規の人生を他人事と思える人がいたら、幸せな人である。誰でも生きているからには苦しみや悲しみを味わう。最後は死を免れない。子規の苦痛に満ちた人生を2倍3倍に薄めて生きているのが我々の人生だろう。みんな自分の「六尺の病床」に縛られているわけだ」と締めくくっている。

 先の長い七番勝負とは言え、もしも高尾名人・本因坊がこんな“悟り”をもって(盤面11目の大差の碁を投了せずに)打ったのなら、チクン大棋士を超える七番勝負の鬼への道を歩むかもしれない。それに待ったをかけるのが、年間勝数・勝率争いの常連、ウックン碁聖。そんな意味からも、日本碁界のエースである若き2人による名人戦3局目以降の行く末は見逃せない。

  そして9月22日の千寿会の大盤解説は山下敬吾と進境著しい関西の若きホープ、井山裕太七段の天元戦挑戦者決定戦。黒の井山七段が棋聖・王座を終始圧倒、終盤への入り口で白は中央の大石を放置して右上のスソ開きを戸締りする「大勝負手」(解説役の高梨聖健八段)を放つ。当然白は、下辺または右下の黒と絡みつつ中央を攻める場面。ここで白がもたつき始めた。まず、右下の置きにぶつかりで応えられたのがつまずきの元(右図)。中央を大威張りで生きられた後もまだ良かったらしいが、下辺で1目噛み取られて逆転されたという。

 挑戦権を得た敬吾棋聖・王座は河野臨天元と連続3期のデッドヒートを展開する。「敬吾くんはおそらく半分あきらめながら、それでも粘り強く応戦した。ほんとに勝負強くなった」——聖健八段は義弟(愛妹の夫君)を語る時、過剰な思い入れや身びいきをいつも感じさせない。一方、順風満帆の進撃を続けてきた井山七段にはまさに苦い薬になったが、「大きな1局を勝ち切ることは本当に難しい。これを機会にまた強くなるでしょう」と敗者を称え、こんな経験談を話してくれた。

 場面は手合いの夕食時。打ちかけの小休止であっても頭は盤面で一杯、難しい局面であれば疲労困憊しているから、メニューを考えることもできない。ふらり入った店で、店員が持参したメニューをろくに見ずに適当に指を置く。それが「たぬきそば」だったりする。もちろん味もわからないし、ちゃんと代金を払ったかどうかも定かではない——。

 へぇ〜、プロ棋士は大変なんだ。思えば私だって、昔難しい試験の最中の昼食に何を食ったか、まるで覚えてはいなかった。それにしても、高梨八段が「たぬきそば」とは食い合わせが悪過ぎるのではないか。「タカナシ」と「タヌキ」を組み合わせると、「カナシ〜」結末が約束されてしまうではあ〜りませんか!

亜Q

(2007.9.29)


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