わが偏見〜“最強プロ” はこの方ではないか ③

 若い女流棋士は誰でも、外見とは裏腹に「夜叉」のココロを隠し持っている。では同じ年代の男性陣はどうか。私の経験ではとてもお行儀がよくておとなしい。何よりも「場の空気を読む」才に長けているように見える。唐突に我が家のイノシシ娘とウシ息子を例に挙げさせてもらえば、娘はわがままで父親をすっかり無視しているが、息子は一応聞き分けがいいし、それなりに気を使っているのがわかる。イノシシ姉が少々無理難題を吹っかけても大体は妥協して譲るからけんかにもならない(ついでに王立誠プロの可愛らしい娘さんと息子さんの話もしたくなったが、別の機会に)。これは美しい日本を象徴する美風なのか、それとも平和で豊かな時代にスポイルされた若者(男)の覇気のなさを物語る悲しむべき風潮なのか。

 そのせいか、若い男性プロはアマとの指導碁でも無理やり勝ちには来ないことが多いような気がする(残念ながら私の戦績からではなく、周囲の状況観察からの推論)。相手の打ち方に合わせて結構いい勝負にしてアマを喜ばせるようなことも少なくないようだ。その好例が“中部の氷川きよし”こと下島陽平七段。アマが置いた石など我関せず、6線のボウシや二間トビなどを駆使して自分が打ちたい中央志向を貫いてくる。地にはまるでこだわらず、足の速い展開力と上からの圧力で石の効率を問うてくる。終わってみれば細かく負かされることが多いが、アマに好きなように打たせるところがなかなかかっこいい。こうした傾向は、西のキムタクこと倉橋正行九段をはじめ、・初代中野杯優勝者・瀬戸大樹両七段、松本武久新人王らにも共通しているように見える。

 その例外が、千寿会とはおなじみの剱持丈七段と孔令文六段(高梨聖健八段については前に書いたので割愛します)。ジョーは聖健八段と同様、本手本手を繰り出し(もちろん、私の勝手な評価)、最初からゴチャゴチャこない。私ごときザル碁アマを相手にしても碁の器量とか志みたいなものをじっとにらまれている雰囲気がする。そして、明らかな思考停止の手(つまりうろ覚えの物真似)や身の程知らずの強欲(つまりコセコセ地を稼ぐ手)には容赦なく雷を落とす。「なぜこう打ったのか自分で説明ができない手は犯罪だ」と言うのが口癖(千寿会には「叱られるのがたまらない」と恍惚の表情を浮かべる御仁もいる→本人だったりして)。この雷をことのほか喜んだのが、今は亡きハンス・ピーチと女流アマ碁界の大ベテラン、N.Oのおばちゃま。布石から中盤への方向感覚を学ぶにはジョーが一番ではないかと、ザル碁の私がわかりもしないくせに思い込んでいる。何しろジョーの碁はシューコー老師のにおいがプンプンする。

 令文さんは初めから「アマには勝たせない」と公言して、大げさに言えば初めから石を取りに来る。少なくとも徹頭徹尾狙ってくる。布石→中盤→大ヨセ→小ヨセといったお行儀のよい碁にはならず、「多数のアマを相手にこの打ち方では疲れるだろうに」と思考節約型の私は思うが、中国、いや日本、韓国を含めても伝説的な強さを詠われた大棋士を父母に持ち、少年時代には数学オリンピックでメダルを獲得した天才だから、余計なお世話でした(このたびは2年連続で賞金ランキングによる昇段を達成!新六段になりました)。

 令文さんとは年齢が離れてはいるが「アマには徹底的に苦労させる」という意味で似通っているのが弁護士九段・棋士七段の笠井浩二プロ。生来素直な私から見ると、この方は何しろひねくれていらっしゃる。通り一遍の手は決して打たず常に紛糾を求め、序盤から終盤ヨセに至るまで、惜しみなく手筋と死活の問題を次から次へとぶつけてきて下さる。終わってみれば、私程度のレベルだと絶対の勝ち碁がジゴとか1目負けになってしまうのだ。あまりのありがたさに、年甲斐もなく涙がこぼれそうだ。

 ダラダラと書いて、いつの間にかだいぶ長くなった。私が思い込む“最強プロ”ベスト3は次回にさせていただきます。今度はあまり時間をかけずに書きます。思いがけない方が登場する予定なので、我が敬愛する変人諸兄の皆様、どうか読んでください。

亜Q

(2007.3.25)


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