棋士の琴線

以前に、「チクン大棋士考」などとたいそうなタイトルをつけて我が妄想を書きたてたが、自意識過剰な私から見ると、ちょうど第4話「好敵手」と“対”になるような話を観戦記者の春秋子さんが『週刊碁』(10月9日号)に「感想戦の怪」と題して書いておられたので、少しタイミングがずれたけれどフォローさせていただきたい。春秋子さんはまず、感想戦には3つのタイプがあると指摘、「熱心派」の代表格が林海峰・小林光一、「あっさり派」は大竹英雄・趙治勲・武宮正樹、「中間派」は加藤正夫・依田紀基と例示して、コラムの後半で次のように記している。(以下引用)

一番印象に残る感想戦は、ニューヨークで行われた第22期(平成7年)第1局です。負けた趙名人と、小林光一挑戦者、立会人、解説者らの感想がまったく噛み合わない。誰も趙さんの真意を理解していなかったのです。険悪なムードになったなと思った途端、激高した趙さん、大変な勢いで石を並べ、「こう打ったらどうなる?誰もわかっちゃいないんだから」とひとこと。あまりの剣幕におそれをなして、感想戦はそこでストップでした。その後の趙さんもすごかった。無人の対局室で1時間ほど腕組みして考え込んだり、あらぬ方へ向いたり。そして夜のニューヨークを飛び出し、ホテルに戻ったのは3時間後。ベロベロに酔っ払っていました。負けたのがよほど悔しかったのでしょうね。(引用終り)

「あっさり派」と言われる通り、チクン大棋士には“はぐらかし名人”の印象がある
(ご参考までに、リコー杯ペア碁選手権戦観戦記をご覧ください)が、名人戦七番勝負の第1戦とあって、この時ばかりは超マジモードになっていたのだろう。私はこんな話が大好きだが、実はこの時のもう一人の当事者である光一挑戦者の感じ方に興味を引かれる。何しろ光一さんはもうしばらくすると(還暦を迎えると)棋聖、名人、碁聖の3タイトルにわたって初の複数名誉称号を得る身だ。

私レベルなら「チェッ、悔し紛れに我を張りおって。ま、気持ちはわからんでもないか」ぐらいに片付けるところだが、この時挑戦者はチクン大棋士に敬意を抱いたのではないか、と思うのだ。「自分が大切にしていることを、この人は自分以上に大切にしているのではないか」と感じた時、誰でも相手に敬意や親近感を抱くだろう。もちろん、光一挑戦者とチクン名人(当時)とは長い付き合いだから、互いの碁に対する畏敬の念は持っていただろうが、それとは別にもっと人間臭いところでチクン大棋士の言動が光一挑戦者の琴線に触れたに違いない。ちょうどチクン大棋士が交通事故に遭って三大棋戦タイトル戦初の椅子対局となった時、光一挑戦者が椅子の上に座れるようにして欲しいと要求した時に感じたように。

私が光一さんから最も感じるのは「一途さ」。雑事雑念を振り払ってひたすら棋道にのめり込む姿がまぶしいほどだ。実娘の泉美女流最強位と夫君のウックン名人・王座・碁聖、愛弟子の河野臨天元らにもこの姿勢(至誠)が受け継がれているように見える。しかも光一さんは日本棋院を実質的に牽引する副理事長に就任された。自分の棋道に加えて、今度は棋界改革にも一途に取り組んで欲しい。

事のついでに、この際私は反省しよう。私もこれまで、勝ち碁ではしばしば「そう打たれたら投了しようと思っていました」などと相手をおちょくり、負け碁では心ではまったく認めていないのに「いやぁ、お強い!とても勉強になりましたぁ」てな具合に太っ腹を見せつけてお茶を濁していなかっただろうか。「本音を隠し、建前飾り、笑いは逃げの切り札」と、チクン大棋士によく似たヨースイさんが言っていた。「だから今日も裏道小道」のザル碁街道を死ぬまで歩み続ける宿命らしい。

亜Q

(2006.10.11)


もどる