絶不調の人

 千寿会が開かれる土曜の昼下がり、東京・銀座の数寄屋橋囲碁サロンはゆったりとした図書館のようなたたずまい。プロ棋士との指導碁を受ける人、会員同士の自由対局、石音のほかには時折お茶をすする音が漏れる程度。控えめな礼節と敬愛の念に包まれたオトナ同士の手談が交わされ、静かに緩やかに、時が流れていく。

 ところがこの至福の静寂が、黄色い金切り声でしばしば破られるようになった。「あっ、いやや〜」「なんでやねん」「ベンチがアホやから…」。声の主は大学生の子供を持つ物理研究者であり、本サイトの管理人を務める「かささぎ」さん。そしてその数分後にはいつもうなだれ、扇子で自分の頭をバンバンしながらプロの先生や対局相手の話を聞いている。韓国流の新戦法と足早な展開力を駆使して勝ち切った後の、あのさわやかな高笑いを最後に拝見したのはいつのことだったろう。

 聞けばこのところ絶不調らしい。同等以上の相手と打てば必ず負け、ごくたまにシタテから勝ち星を恵んでもらうぐらい。湘南ひらつか囲碁まつりのパーティー会場では、あちらこちらを飛び回る私とは対照的に、部屋の隅で覚先生と「お互いに絶不調ですねぇ」などと慰め合っていた。良き碁敵を認ずる私は心底心配になった。早く立ち直ってもらわなければ、感化されやすい私まで伝染してしまうではないか。

 「歌を忘れたカナリヤ」状況ならばカラオケにでもお連れすれば直るだろう。精神面を鍛えるなら座禅か、それとも褌一丁で滝に打たれる方がいいか。でも、ひょっとすると身体上の不調でもありはしないか。そう言えば最近酒量も増えているようだし、物忘れもひどくなったそうだ。それとも今年もまたノーベル賞を逃したことが深い心の傷になっているのだろうか。何しろ彼の研究テーマはナノテク、ホトテク、エレクトロニクスをかき集めた最先端の粋を行く。あまりにも先走り過ぎて、誰にも理解してもらえないのかもしれない。いや、そんなことより本当はドロドロとした人間関係なのかも。家族から無視されているとか、職場で逆セクハラに遭っているとか、ハニートラップ(要するに女スパイの策謀)に巻き込まれたとか、不倫関係がばれたとか。

 千寿会が引けた後、私は健二先生と「たくせん」さんをお誘いして赤提灯に繰り出し、早速かささぎさんを問い詰める。秘密はあっけなく割れた。絶不調の原因はただ一つ、「職場の後輩」だった。京都大学在学中に坂井秀至さん(現プロ七段)らとともに全国トップアマの座を競い、学生チャンピオンにもなったK強豪がその人。かささぎさんの職場は普通の勤め人から見ると天国だ。裁量労働制だから時間管理は緩やか、頭脳労働の疲れを癒すためと称してあちこちに碁盤が置いてある。そこで、かささぎ先輩はK後輩にいつも挑戦しているらしい。何でも、初めは「先」から出発し、2子…となり、ついに○子置かされる羽目になったというのだ。これではプロ棋士の先生に教えていただく時より△子も多いではないか(かささぎさんの名誉のため実数は控えますが、想像してみてください。きっと外れます)。

 普段は温厚な健二先生がこれを聞いて激怒された。「そんなの困るじゃない、しっかりしてよ〜」。かささぎさんの表情は冴えない。「隅の置石に普通にかかってくるかと思えば、辺の星に割り打ちしてきたり、とにかく打つたびにいろいろ変化してくる」、「何とか勝勢に持ち込んでも必ず最後に逆転される」、「そのうち相手が怖くなって石が伸びなくなり、しまいにはボコボコにされている自分を見出すんや」と最後は関西弁で泣き言のオンパレード。健二さんは「でも、プロ相手に○子でいい勝負なのに、さらに△子置いて負けるわけがないじゃない」などと励ます傍から、「でも僕のお父さん(小林4兄弟をいずれもプロ棋士に育て上げた猛父・正義氏、ご参考までにこれをお読みください)も腕自慢のアマに『プロに対するより2子多く置きなさい』と相手に言っていた。アマにとって、“プロより強いアマ強豪”は確かに存在するんですねぇ」と面白がっている。これではかえって自信を失わせるばかりではありませんか。

 その時私に、かささぎさんを救済する妙案が舞い降りた。そう、「捨身飼虎」。飢えた虎を救うため、仏様が自らの身を投げ出したとされる気高さの極地を行く“利他の精神”。この仏様になるのはもちろん私。かささぎさんにはいつも尊いノーテンキ教の極意を教えていただいている。今こそ、弟子たる者の務めを遂行すべき時。幸い、ごく身近に良いお手本があった。一つは10月28日、都内ホテルでの公開対局、小沢一郎民主党首に対する前官房長官、与謝野馨氏。これまで「ご指導する立場」だったのに今回は「政界の大先輩に敬意を表して」握って黒番。しかも16目半の大差で敗れた。もう一つは10月25日の天元戦予選A。小林覚九段に対し、自ら愛弟子と称する高梨聖健八段が12目半もの大差の碁を最後まで粛々と並べた。私は聖健さんの気持ちをおもんぱかり、涙が落ちるのを禁じ得なかった。

 いずれも、大差で負けている碁を最後まで投げず、きちんと数え上げて相手の強さを称え、見失っていた自信を取り戻させる、1個の人間として最も尊く弟子たる真心なしではできない行為だ。かささぎさんに対しては、ノーテンキ教の一番弟子たる私だからこそできるはずだし、やらなければいけない。序盤から少しずつ緩めに打ち、特に大きなミスをしないで終局時には大差になっている。もちろん、かささぎさんは私のこんな心情を気づきもしない。久しぶりの勝利の美酒に酔い痴れ、ふと本来のご自分を取り戻すのだ。それでいい。誰に知られなくても、私はとても満足だ。

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 なお、本サイト雑記帳にアップされた記事について、お読みいただいたAさん(ご本人の希望により匿名としました)とおっしゃる方から、下記のような情報をいただきましたので、この場をお借りしてAさんに感謝するとともに皆様にもご報告いたします。

1.「村上文祥さんの思い出」
ここに書かれている村上祐子さんとは、千葉大学に彼女が勤めていたことや専門(論理学)が近いことなどもあり面識があります。私は囲碁はやりませんが, 村上文祥さんのお名前は聞いたことがありました。しかし彼女が村上文祥さんの娘さんだとは全く知りませんでした。

2.「報酬格差」
最後に、「今ごろ彼は財務官僚にでもなっているのだろうか」とある児玉大樹さんは、その後数学者になっておられるようです(http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~kodama/math.html)。

亜Q

(2007.10.31)


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