60 代までタイトルを追い求める

 第11回「ふれあい囲碁大会」(本サイト「雑記帳」にいくつか関連記事があるので、よろしければどうぞご参照ください)が6月8日から3日間、富士箱根ランドで開かれた。講師は小林覚九段、笠井浩二七段、孔令文六段のほか、倉橋正行九段、下島陽平七段、瀬戸大樹六段、武宮陽光五段、万波佳奈四段、井澤秋乃四段、そして木下かおりインストラクター。9人の常連棋士のうち、笠井、孔、井澤の3棋士が新たに昇段、特に井澤四段は大会直前に昇段を果たされたばかり、さらに下島七段も今年初めに父親になった(愛娘の名前は「優泉」と書いて「ゆい」ちゃん)こともあって、大会はおめでたムードに満ち溢れていた。

 本大会は文字通り、プロ・アマを含む参加者同士の「ふれあい」を最も大切にしている。残念ながら、私は今回自分の対局が忙しくて恒例の新規“愛人づくり”の実績は上がらなかったが、古くからの複数の愛人と旧交を温めたほか、同性ではあるが、今回初めて参加されたH氏(1級クラスで全勝優勝!)と友達になることができた。H氏は40年間の教職生活をリタイアされ、今は茨城県つくばの実家で趣味のぶどうを栽培しながら奥様と二人で悠々自適の生活。無農薬、丹精込めて手づくりされる「巨峰」は収穫量こそ少ないが関係者の間で引っ張りだこの人気だそうだ。この絶品を、9月になれば私にもお裾分けしていただけることになった。食い意地の張った私にとって思いがけない大収穫!

 個人的なことはさておき、もう一つの重大な収穫が小林覚九段からもたらされた。実は私はとても心配していたのだ。昨年11月ごろから続いた絶不調から立ち直れたのかどうか、もしかしたら体力が弱っておられるのではと。40年以上にわたる囲碁生活の中で、これほど勝てない時期は決してなかったろう。しかも負け方が悪い。山下敬吾棋聖への挑戦手合では中途でぽきんと折れることが多かったようだし、重要なリーグ戦や節目の手合いで絶対の勝ち碁を落としたり、早碁ではノータイムの着手を続けていつの間にか逆転を食らったり。ザル碁の的外れを覚悟の上で敢えて言葉を飾らずに言えば、覚さんらしい勝負強さはすっかり影を潜め、傍目にも痛々しいほどだった。

 この覚さんが、大会前日の名人戦リーグでウックンとともにトップを併走していた坂井秀至七段を破って3勝3敗の五分に戻して登場、今回も元気良く打ち放題の指導碁を数十局こなされた。それも、「相手に勝ちを譲る」いつもの姿は見られず、どんな相手にも勝たせない。言うもおこがましいが、もちろん私も負かされた。そして指導碁の合間の休憩時間。もう70歳というのに仲代達也ばりの精悍なマスクをしたアマのK四段が「棋士は40代にもなると大ベテラン扱いだが、一般社会ではまだまだ“洟垂れ小僧”。老成するのは早過ぎる」と口火を着けた。思わず私も、「林海峯さんの生涯勝ち星(1300をはるかに超えているらしい)を目指してほしい」と口走る。覚さんは900勝を達成してからやや足踏み状態にあるが、達成時の勝率は10人を超す対象者の中で堂々の1位。この記録を伸ばして欲しいと思ったのだ。

 すると、覚さんいわく。「ぼくは勝ち星よりもタイトルが欲しい。60代までタイトルを追い求めます」と。すべての棋戦に満遍なく力を注ぐ林海峯流より、チャンスを見て栄冠をさらう藤沢秀行流を目指すのだろうか。「もちろん、どんなタイトルでもいい。テレビやインターネットの早碁でもいいし、国際戦ならなお結構」と覚さん。娘婿の孔令文六段が傍らから、「今の日本は韓国・中国に比べて確かに読み負けしているけれど、碁の明るさ、柔らかさでは世界一。そのせいか、40代、50代になっても一流の棋士がたくさんいます」と口を添える。40代の覚さんや依田さんが、10代で既に世界一流の座に駆け上った韓国・中国の若手を「覚の碁」「依田の碁」、すなわち「日本の碁」で打ち破ればこんなにすばらしいことはない。自信喪失気味の日本の碁界は革命的に復活するだろう。

 最高齢でタイトルを獲得した記録は1991年、66歳で第39期王座に就いた藤沢秀行名誉棋聖。そして翌1992年には同タイトルを67歳で防衛した。藤沢老師は若い頃こそ精力絶倫だったらしいが、最後の王座にあった時期は何度かの大手術や断酒との戦いで満身創痍だったようだ。それが、初の七大タイトル獲得で身も心も充実していた羽根泰正、チクン大棋士と共に碁界に君臨していた小林光一両九段を相次いで撃破したのだからすごい。覚さんのタイトル獲得数は9回(うち国際棋戦1回)。当時の行さんよりほぼ20年若いし、韓国、中国棋士との戦績はいずれも勝ち越している。現在は棋聖、名人、本因坊の三大棋戦にリーグ入りされてチャンスをうかがっているが、今後は意識して照準を絞っていかれるのだろうか。

亜Q

(2007.6.13)


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