貴公子、黙して語らず

 9月6日、私はいつもより早めに開始時刻を10分過ぎた頃に千寿会会場の数寄屋橋囲碁サロンに到着。見渡せば既に20人近い会員連が指導碁や会員同士の対局を始めている。講師は奥の席に宮崎龍太郎六段、そして手前のホスト講師席(千寿先生の定席)には高梨聖健八段。

 私は真っ先に高梨八段の席へ行き、無言で手を差し伸べる。貴公子はニコッと笑って握り返してくれた。2日前の9月4日は阿含・桐山杯準決勝(持ち時間は2時間)。貴公子は若手ライバルの溝上知親八段を破って決勝に進出、日本/関西棋院所属のプロ棋士とアマ強豪三百数十名が参加した日本最大のオープン競技の頂点を目指して、ウックンvs結城聡九段との勝者と11月15日に賞金1000万円(準優勝は500万円)をかけて戦う権利を得たのだ。

 1回戦をシードされた貴公子は、菅野尚美三段、石田章九段、加藤充志八段、彦坂直人九段、石田秀芳24世本因坊、松本武久七段、そして溝上八段に7連勝してここまでたどり着いたのだが、そのうち半目勝ちが3度。ここまでの道のりは順調どころか、ハラハラドキドキの連続だったらしい。

 溝上八段との準決勝も序盤から苦しい戦いを強いられたようだ。千寿会ではこの碁を大盤解説してくれたので、初手から12手まで並べてみよう(白番の貴公子から見た図)。黒5手目の大ゲイマ、左辺星下への白割り打ちに締まった側からでなく星の石から1間に詰めた黒7、さらに白の2間開きにすぐ肩をついた黒9と、溝上八段は一貫して自分の想定範囲の手を打ってきたように感じられる。

 貴公子はここで困惑した。参考図(右)のようなごく普通の打ち方では、右上の大ゲイマ締まりの顔が立って白としては面白くない。そこでやむなく白10と押し上げた。ザル碁の私から見れば車の後押しに似ている。黒は(きっと)喜んで黒11とノビたことだろう。白は仕方なく2線をコスンで渡る――。実利よりも盤中央に向けての厚みを重視される貴公子としてはとても不本意な立ち上がりだったに違いない。

 このまま碁が推移していけば、小さい差ではあってもとても勝ち切れない。貴公子はそう覚悟して、石を目いっぱい張っていく。短い持ち時間の中で必ずしも読みきれない部分もあったらしいが、成立すると直感した“怖い手”を「勝負、勝負」と繰り出し、少しずつポイントを挙げていったようだ。

 解説を終えた後の恒例の飲み会で、私は貴公子に問い質した。「早碁では前もって策戦を考えられる黒番の方が打ちやすいのではないですか」。貴公子はニヤニヤ笑って答えない。私は質問を変えた。「ウックンと結城さんではどちらが打ちやすいですか」。貴公子はこれにも黙して答えず。

 しばらくして、貴公子はボソッと一言。「“こうなればいいな”となまじ期待してしまうと、外れたときのショックが大きい。だから何も考えずに真っ白な状態で臨みたい」と。決勝の相手は碁界でも有数の研究熱心。そのせいか、ウックンも結城さんも黒番を好むと言われている。特にウックンは井山八段の挑戦を受けた名人戦第1局(黒番)で、敗れたりと言えども序盤から斬新な趣向を次々に見せたらしい。“白紙の状態”の貴公子がこの二人のどちらかとどう戦うか、決勝戦が行われる晩秋の京都(11月15日、阿含宗本山の蝸牛庵で)は紅葉に染まって燃え上がるに違いない。

 ところで、今頃になって私は気がついた。貴公子の沈黙の裏には秘められた雄弁なメッセージがあった。「何でこんなおバカなことばかり聞くのだろう?」。

亜Q

(2008.9.8)


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