「何事も一期一会と思って参りました」〜秀行老師第6回個展から

「この近くでシューコー先生の書展が開かれていて、3時頃先生ご本人がお見えになるそうです。よろしかったら皆さんご一緒に鑑賞にまいりませんか」。本年最後の千寿会が開かれた師走13日、指導碁の合間に千寿先生が約20人ほどの出席会員に呼びかけた。

もちろん、全員大賛成。碁を打ちかけて、千寿会会場の数寄屋橋囲碁サロンから歩いて10分足らずの銀座松坂屋別館4階の画廊に繰り出した。個展会場に入るといきなりドカンと目に飛び込んだのが「一期一会」と一字ずつ大書された作品。老師が「渾身の思いを込めて書いた」と言われる大作が、12月10日から16日にかけて開催中の第6回藤沢秀行書展の太い柱になっていた。

出展作品は「一期一会」をはじめ、ご自身の干支にちなむ「牛」、老師の代表作とも言われる「行雲流水」、さらに「泰山は土壌を譲らず故に大なり 河海は細流を選ばず故に深し」、「碁は強弱に依らず 形で現す」といった箴言も交え、「迷走」、「強烈な努力」と続いて全四十二作品。いずれも、老師の書の師匠、柳田泰山氏が解説を付している。

場内で配られた老師の挨拶状に老師の最近の心境がうかがえる。少々長くなるけれど、私にはとても削れない。以下、全文を引用させていただく。

今年、八十三になりました。明ければもうじき八十四歳。7回目の年男です。
何度も死にかけながら、まだ生きています。
もういいだろう、という気持ちにもなるのですが、閻魔様から相変わらず嫌われているようです。

何事も一期一会と思って参りました。
例えば、過去に同じ碁は一つとしてありません。その一手は、二度とない、一度だけの手なのです。
今回の書展で皆様にご高覧いただけること、誠に有り難い限りです。この出会いもただ一度。
いつまでたってもヘボな書ですが、皆様は何を感じてくださるでしょうか。
渾身の思いを込めて書いた「一期一会」の大作が第6回個展の太い柱になっています。

私は長年、碁の道を歩いて来ました。
歩けども遠く、遠くまで来たと思うと、さらにまた先は遠く…どこまで行くのか、どこへ行くのか。

老いるのは苦しいものです。厳しいものです。身体は痛い、疲れる、揚句の果てに骨まで折れる。
しかし懲りない性分で、プロ棋士を目指す子供達や若手棋士の指導に力を入れずにはいられません。
いい碁が見たい、素晴らしい棋士に育ってほしい。

個性を伸ばさねば、強くはなれません。
人真似だけでうまくやったり、ただ好き勝手するのではなく、自分の心底から湧き上がるものを表現していくことが必要です。

若い者に何か言うことはないかと聞かれ、「もっと遊べ」と答えました。
しかし同時に、「強烈な努力」をせよ、とも答えました。さあ、わかってもらえるでしょうか。

出品作の最後に「迷走」という作品を書きました。
私はいつもあっちへこっちへ、どこへ向かうかわからぬまま走り続け、八十三歳になってまだ迷走しています。
「無悟」、悟ることはないとわかった、と第一期棋聖に就位した五十二歳の頃、初めて揮毫しました。無悟と知りながら、未だに迷走している自分に呆れ、笑いがこみ上げてきます。
老いても楽しいものです。まだまだ遊び足りないねえ、と言いたくなります。

さて、皆様。
皆様方の人生と私の人生がほんのひととき、この書展で触れ合えた幸運に感謝を致します。
皆様の御健勝、御活躍を心よりお祈り申し上げます。

藤沢秀行

金澤翔子(小蘭)さん(中央)を囲んで記念撮影

若い棋士相手の忠告にかこつけて自らに言い聞かせる風な「遊び足りないねえ」と述懐する老師の心境には、つい最近本サイトにたくせんさんがまとめてくれた読後感想文(敢えて「書評」と書くのは遠慮いたします)「勝負師の妻」を拝読した直後だけにやや複雑な思いもするが、「我が迷走人生、悪くはなかった」、「これからも迷走し続けるしかないなと思っている」と述懐される老師のありのままの心意気なのだろう。

一連の作品をひと通り鑑賞し終えた頃、「別室に老師がお見えです」と場内スタッフの方が知らせてくれた。老師は杖を傍らにソファに腰掛け、千寿先生が話しかけると、こっくりと写真撮影に同意していただいたらしい。後輩棋士の千寿・健二姉弟、老師と同年齢の元文壇名人2期のちかちゃん(濱野彰親画伯)、女流アマタイトル常連N.Oのオバチャマ、かささぎさんらが横に侍って何度も撮影が繰り返されたが、老師は終始、泰然自若の趣だった。

会場には千寿会メンバーだけでなく、愛好家の訪問が後を絶たなかった。訪問帳を覗くと、関西棋院の中野泰宏九段も同じ頃鑑賞されていたらしい。作品の何割かは「売約済み」を示すマークが見られた。私だって老師の書は欲しいが、とても手が出ない。「一期一会」と書かれた老師の揮毫扇子を記念に入手した。

なお、同じ松坂屋別館画廊の5階では老師と同じ柳田泰山氏の弟子に当たる金澤翔子さんの個展も開かれていた。翔子さんは老師とちょうど60歳違いの23歳。ダウン症に苦しみながらおおらかで伸び伸びとした果てしない天才を発揮される少壮の書家。老師と併せて鑑賞されればひとしお興趣が増すことだろう。

亜Q

(2008.12.14)


もどる