チェスから将棋に飛び火したソフトの実力

将棋ソフトの最強の地位を占めると言われる「激指(げきさし)」が、6月末に開かれた第18回アマチュア竜王戦(日本将棋連盟、読売新聞社主催)に特別招待された。竜王戦はアマ・プロ戦が連動し、アマ竜王になるとプロ竜王戦への参加が認められてそのまま竜王位を奪取する可能性もある。

「激指」は初出場にも関わらず、全国大会に進んだアマ強豪三人を撃破して何とベスト16に入った。羽生、佐藤、森内クラスのトップ棋士が悩む複雑な局面でも、ひとたび相手玉に詰みが生じると電光石火の早業で仕留めてしまうというから空恐ろしい。

チェスの世界では既に1997年、世界チャンピオンのカスパロフが「Deep Blue」に敗れている。「Deep Blue」は米IBMが多数の天才と資金をかき集めてつくり上げたスーパーコンピューター。これに対して「激指」は独立行政法人研究員の鶴岡慶雅氏らが個人的に開発した「チープソフト」。「Deep Blue」時代とは比較にならないほどの容易さで改良が進むとすれば、生身の人間はすぐに追い越されてしまいそう。来年はどうなるだろう。

これに関して米長永世棋聖(現将棋連盟会長)の言葉が興味深い。「Deep Blue」ショックの際には、「駒がどんどん減っていくチェスでは人間が勝てないのはむしろ当然。しかし最後まで40枚の駒が生きている将棋の終盤はコンピュータでは扱えない複雑さだ」と将棋の奥深さと人間優位を高らかに説いた。ところがその後、詰将棋ソフトが長足の進歩を遂げるに及び、「データベースの量が問題となる序盤、計算速度が問題となる終盤ではコンピューターが強いが、しかし中盤では人間の方が優秀」と機械の部分的優位を認めた。しかし「チェスは序盤と終盤がほとんどのゲーム。その点、将棋は中盤が長いから・・・」と、彼一流の強気な評価は揺るがない。

米長説に真っ向からぶつかるように見えるのが、公立はこだて未来大学で教鞭をとるコンピューター将棋研究者、松原仁氏(元・通産省の電子技術総合研究所主任研究員)。「コンピュータチェスの研究はもう結論が出たようで元気がないが、コンピューター将棋はこれからが本番。名人への道はまだ遠いけれど、2010年代には達成できるのではないか」と予想している。もっとも松原さんは「こう予想しているのは元プロ棋士で研究者の飯田弘之さんや私など少数派で、多数派はもっと悲観的」と謙虚に言い添えておられるが。

ど素人の私から見ると、「扱えないはずの複雑な終盤」でも瞬く間に「圧倒的な強み」を見せ付け始めたコンピューターの前に、チェスと同様に将棋も遠からずひれ伏すことにならないかと恐れてしまう。万が一そんなことになれば何が起きるか。まず棋士の存在理由が脅かされる。ひいては将棋という知的ゲームの魅力を減殺することも考えられる。だからと言って“排除の論理”を振りかざせば間違いなくジリ貧に陥るだろう。――でもこの仮定は本当に実現するだろうか。

そもそも機械と人間とでは、学習能力はどちらが高いのだろう。「強い方が高い」のが常識だが、序盤、中盤、終盤と将棋を三つに分け、しかもその“重さ”が微妙に異なる中で、いったん負けても人間がすぐに追い越し、しばらくして機械がまた追い越し、といった調子で振動が繰り返されるのではないか。つまりチェスと違って完全に追い越されるのではなく、かなり長い期間併走を続けそうな気がする。となれば、これはこれで将棋界は新たなファンも巻き込んで大いに盛り上がる。

それだけではない。羽生&Aソフト、佐藤&Bソフト、森内&Cソフトといった具合に、棋士とソフトが協力して戦う“マン・マシン”ペア将棋が新しい頭脳スポーツとして人気ゲームになるかもしれない。カーレースで言えばシューマッハとフェラーリに代表されるF1レース。序盤構想や終盤のヨセ、詰め部分は持ち時間を節約するためマシン使用を可とする。「これが将棋か」と怒られそうだが。

話が脇に逸れるが、昔の理工系単科大学の入試問題には力づくの計算能力を試すことが少なくなかったらしい。計算機が普及する可能性は高くても人間の基礎能力を評価するために必要だったのだろう。これに対して、計算機、辞書、参考書持ち込みを許し、つまり単純な計算や丸暗記を解除した上で、学校や学科の性格に応じて総合的な判断力を重視する方法もあっていいと思う。

竜王戦主催者の日本将棋連盟と読売新聞社は今後とも将棋ソフトの参戦を認め、アマ竜王になれば是非ともプロ竜王戦への参加を広い心で認めて欲しい。その結果“コンピューター竜王”が万が一登場しても、嘆き悲しんだり驚きあわてないで欲しい。松原さんはコンピュータが将棋の新しい魅力を示してくれるはずだと説いて、「コンピュータが人間より強くなったら将棋がつまらなくなるという人は、将棋というものを理解していないか、人間というものを理解していないか、どちらかだ」と喝破している。

さて、囲碁はどうか。将棋と比べてもさらに玄妙な世界だからコンピューターの挑戦は未来永劫無理との説もある。しかしデータベースが充実すれば序盤構想は進化するだろうし、評価関数の処理が向上すれば中盤の難所でも方向性やバランス感覚を発揮できるだろう。もちろん、終盤のヨセや死活は大得意。「囲碁だけ完全に例外」と高をくくるのはあまり合理的ではないのではないか。もちろん時間はかかるに違いないが、チェスや将棋と同様、“機械と共生する姿”を今から考えておくことは無駄ではないかなと思う。

亜Q

(2005.8.2)


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