下手打ち=だまし討ち?

梅木先生に指導されるM氏
梅木先生に指導されるM氏

「いけねっ!下手相手の置き碁だったじゃん、厚い手ばかり打ってどうするのぉ」――。某サイトの名物師匠、夏の終わりに突然「引退宣言」をかました、あのM氏の悲鳴だ。

「引退なんて誰のこと?」首を長くするまでもなく、わずか二週間足らずで碁界に復帰。参議院の青木さんみたいな彼のこと、君子豹変は当然読み切っていなければならなかった。しかし懐深き私には、大学の後輩でもある彼のアッケラカッカーはむしろ微笑ましい。

 何やら、復帰早々級位者の男女弟子二人をつかまえ、6子置かせて得意の二面打ちに及んだらしい。ところがわずかとは言え、引退期間が調子を狂わせたのだろうか。突如ぼやき始めた。「“棋風通りに”(彼曰く)厚く打っていたら劣勢になっていた、俺って馬鹿だなぁ」。

 そうか、彼は相手を見て着手を決めているのだ。決して盤面を見て石を置くのではなかった。そこで思い出すのが、東の貴公子、セーケン先生のかっこいい言葉。「私はアマ相手の指導碁でも決して手を抜かないし、めったに 勝たせない」「でも気持ちは互い先感覚、うそ手やこけおどしはせず、常に本手を打ちます」ーー。

 この含蓄、この美しさ、この厳しさを、賢いM師匠にはぜひ理解して欲しいものだ。例えば自分が商人だったとして、商品を客にいくらで売りますか?自分なりに綿密に設定した厳格な価格で“正札販売”を貫きますか?それとも市場の環境を勘案して“オープンプライス”を採用しますか?

“正札販売”は、盤上のみからすべての情報を読み取り、己の信ずる着手を探る。“オープンプライス”は相手の棋力、癖、心理状況など盤外作戦が主体になる。言わば、はったり、度胸、念力の世界。対等の相手とならばそれはそれで面白い。しかし下手との対局ではいかがなものか。これでは“だまし討ち”ではないか。

厚くゆっくり穏やかに、それでも下手は、必ず欲張ったりよれてきたりする。最後のダメを詰めておもむろに数え、「アッ、持碁だった」なんてのが床しい。上手たるもの、簡単に勝たせるべきではないが、本手を打って負けるなら爽やか。「次からは1子減らしましょう」などと鷹揚に言ってみたい。

もっとも、互い先の相手をいくら負かしても、石を置くとは決 して言わない。そんな意地っ張りな御仁が、私の身の回りにも いる。

亜Q

(2003.9.9)


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