重野由紀さんのヨーロッパ囲碁報告会

 ヨーロッパへの囲碁普及の貢献者を挙げれば小林千寿さんと後輩の重野由紀二段でしょう。千寿さんはプロになれそうな逸材を探して日本で育てる、重野さんはヨーロッパに定住し現地で囲碁を楽しむ文化を啓蒙するーー。方法論は異なりますが、お二人の努力はきっと近い将来、大きく花を咲かすに違いありません。11月5日、日本棋院で重野さんの報告会を聴講したので少し長くなりますが下記にまとめてみました。

 「普及の目的は?」と聞けば殆どの人が“囲碁をより多くの人に知ってもらうため”と答えるでしょう。それを基本に今日まで、海外普及活動も続いていると思います。それでは、囲碁を知ってもらったら、次は何をするのでしょうか?棋力の向上、組織作り、囲碁大会やイベントの企画……。そしてその先は?

 イタリアに在住する日本人棋士重野由紀二段が11月5日、日本棋院で開いたヨーロッパの囲碁事情報告会は5年半にわたって孤軍奮闘してきた当事者ならではの問題意識を踏まえて、快い感動とちょっぴり衝撃を味あわせてくれました。馴れ馴れしいようですが、ここでは重野二段を「先生」とか段位付けではなく、「ゆきさん」と呼ばせていただきます。難しい環境の中でゼロからスタートしてがんばる日本の女性に、私なりに心からの親しみと敬意を込めたつもりです。

 会場となった日本棋院6階「洗心の間」に集まったのはプロ棋士、日本棋院関係者(?)、そしてアマ(私もその一人)を含めてざっと50名。私が知っている棋士は工藤紀夫元王座、宮沢吾郎九段、小川誠子六段、剣持丈七段、中澤彩子五段、梅沢由香利五段、週刊碁「プチダイアリー」を執筆中の巻幡多栄子二段(その他にも大勢おられたようですが、顔と名前が一致しません。ごめんなさい)ら。小川、中沢、梅沢プロはいずれも翌日の手合いを控えての参加でした。

 報告会の前半はヨーロッパの囲碁状況。各国の囲碁活動、人口、レベルと段位、子供への普及などを豊富なスライドを使って説明してくれました。中でも注目されたのは中国・台湾、韓国の影響が大きくなっていることです。ING(応氏財団)は年間8万ドルを投じてイベントの主催、子供への普及、囲碁用品や指導用教材の援助をすると同時にINGルール普及を目指している由。韓国は海外向け英文囲碁本に“韓国囲碁用語”を駆使して韓国文化を植え付けようとしているそうです。特にロシア圏では韓国の影響が浸透し、『ロシア碁協会』は数年前に『ロシアバドック協会』に改称したとのこと。これに対して日本は棋士派遣、指導碁と旧態依然の活動ばかりで、出版物も再版が多くて時代遅れを感じさせるようです。

 そしてハイライトは、冒頭の問題意識と見直し案をぶつけた「囲碁普及の目的―将来ビジョン」。普及のための体制づくり、必要な準備、棋士自身の意識改革、具体的な活動内容などを提案するとともに、棋士派遣のマイナス効果にずばり言及しました。現地の事情もろくに勉強せず物見遊山的な気分で無料指導碁を打ちまくるばかりでは、現地で細々と普及活動に従事している人に大変な迷惑を与えるとの指摘は目から鱗、全くもっともでした。

 質疑に入ると、「単身で動き回るより、用品を寄付するなどより効率的な方法はないだろうか」「バドックでも何でも碁が広まればそれでいい、肩肘張って日本の碁にこだわることはないのではないか」と第三者的な“正論”が出されました。しかし、ゆきさんは「私はバドックを普及するつもりはない」と明言、当事者としての心意気を示してくれました。

 次いで、ボランティア普及活動を始めた経緯と日本棋院からの報酬などについて話題になりました。ゆきさんは当初、まったくの手弁当でなんら制約を受けない形でスタートする意気込みだったようですが、中部日本棋院の先輩棋士から「普及活動は長期間腰を据えてかからなければならない。それならば日本棋院の援助を受けるべきだ」との助言を得たことが後になってとても有益だったと語り、涙ぐむ場面もありました。囲碁ワールド誌の記事や写真、ホームページの文章からは、明るく何の屈託もないように見えるゆきさんも、本人にしかわからない労苦、親身な助言などを思い出して張り詰めた気持ちがふと緩んだのかもしれません。

 来場者全員の気持ちをさわやかにしてくれたのは、最後に表明された2人の棋士の意見です。梅沢由香利さんは「私自身も海外普及に携わったことがあるが、ゆきさんが言われる“マイナス効果”をもたらした一人かもしれない。今日の話をかみ締めて今後は真に役立つ海外普及に努力したい」、そして中沢彩子さんは「こうした活動をもっと広く知ってもらう方法が大切。インターネットなど利用できるものを利用して活動の幅を広げたい」と、具体的な方法論を自分の考えで述べてくれました。

 ところでこの報告会はどこかに案内されていたでしょうか。最近の「週刊碁」には掲載されていたのでしょうか。私は中沢彩子さんのホームページと彼女自身が遠慮がちに投稿された「囲碁データベース」の掲示板で知ったのですが。

亜Q

(2002.11.6)


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