プロ棋士が碁の講評をする時、最も面白いのは自戦解説だ。 まず実戦で考え抜いたプロセスを思い入れたっぷりに聞ける。 自分の棋譜だからもちろん遠慮もないし、心理描写がリアル。 アマと同様に喜び悩むプロの姿を知ると救われる思いがする。 我が意を得たりの思いを感じるのは、例えばこんなくだり――。 「受けか手抜きか反発か、堂堂巡りに陥って迷いに迷いました」 「これが相場とは知りながら、頭をよぎった誘惑に負けてーー」 「相手の思いがけない着手に、半信半疑ながら内心嬉しかった」 「局面がぼけてまるで着点が見つからず、のた打ち回りました」 「この一手のはずなのに、打つ瞬間になぜか嫌な図が浮かんで」 「優勢を確認した時、つい相手を上目遣いに見てしまいました」 もっとも、棋士の本音を聞けるのは限られるのかもしれない。 まず自分の碁に自信があり、揺るぎない価値観を持っていること。 対局相手になまじの気配りをしない、きれい事でお茶を濁さない。 言わばひたすら棋理を重んじ、盤面にのめりこむ頑固なタイプ。 逆に、確信の無さを率直に打ち明ける告白型解説も捨て難い。 いずれにしても自分の棋譜に思い入れが深いことが重要だろう。 現役トップ棋士なら、コーイチ、タケミヤ、オーメンの明快節。 ぼそぼそしゃべるリッセー・ヨタロー・リンカイホー節もいい。 特に好きなのはチクン大棋士。敢えて名付けて「破壊・絶望節」。 こんな手を打つようではダメな碁打ちです、などとマゾの極地。 解説中に対局時に戻り、頭の毛をかきむしったりするのだろう。 若手では山田拓自六段がチクン後継者の可能性をうかがわせる。 |
解説なら天下一品の覚九段。千寿会では本音を吐露してくれる。 石倉九段を迎えた昨夏の復帰第1戦での心理の綾が面白かった。 苦手意識のせいかエンジンがなかなか入らず焦りを覚えた序盤、 良いシナリオが浮かびながらなぜかそれを捨ててしまった中盤、 苦闘の末にようやく自分の碁に持ち込めた手応えを感じた終盤、 周囲が注目した復帰第1戦、意識しまいとしても意識は過剰に。 冷静・賢明さを自他ともに認める覚九段だからこそ興趣が深い。 はにかみ屋・ハンス・ピーチ四段の解説も一聴の価値がある。 初級者講座などで好評な語り口が冴えるのは流れが順調な局面。 しかし難所に差し掛かると流暢な日本語が途端にしどろもどろ。 「ここはどう打つのか、後で考えれば最悪の選択だったみたい」 師匠の千寿五段や覚九段が聞いていると気の毒なほど赤くなり、 「オンドラ君ならどう打つ?」と突然聴衆に問い掛けたりする。 どうやらピーチ四段は率直告白型解説に位置付けられそうだ。 ところでピーチ四段が自戦解説をした先日の千寿会でのこと。 ピーチ四段の次の一手を聞かれて、私一人が当てたことがある。 局面はきわめて茫洋としており、客席の回答は十人十色だった。 バランス感覚では密かに自信を持つ私の鼻はピンと跳ね上がる。 ところが覚九段によると、それこそ戦線離脱した敗着に近い手。 説明を聞いてがっかりしたが、ピーチ四段と一緒なら自己満足。 千寿会は、こんな調子で誰もが参加できる打ち解けた勉強会。 高段者も級位者も自己レベルなりに理解を深めることができる。 これを読んでいただいた皆様も、どうぞご一緒しませんか。 |
K
(2002.8.17)