松本清張記念館で濱野さんらの挿画展

千寿会に文化の香りを運ぶ“お宝会員”、濱野彰親(はまの・あきちか)さんの作品が、北九州市の松本清張記念館で公開されています(2005年5月8日まで)。

松本清張氏と言えばご承知の通り、『或る小倉日記伝』で芥川賞を受賞したほか、『点と線』『眼の壁』『零の焦点』『砂の器』などの空前のベストセラーを量産、20世紀後半を駆け抜けて1992年82歳で逝去された後も、今なお圧倒的多数の愛読者を持つ社会派推理小説の巨匠。

文壇デビュー42歳の遅咲きで、若い頃は印刷所の見習い職人を経て朝日新聞社で版下のデザイン・制作に携わり、自らも玄人はだしの絵を描かれたそうです(記念館のHPで『伝奈良般若寺仏頭』の絵が紹介されています)。こうした経験からか、氏の情景描写はきめ細やかで、人物についても脇役に至るまで克明に書き込まれていたといいます。

この清張氏の良き伴奏者となったのが、生沢朗、風間完、田代光、御正伸、堂昌一、宮永岳彦らの挿画の名匠たち。今回記念館で「松本清張を彩る単色の世界」と題して開催している挿画展には、数ある清張作品の挿画の中から、東京藝術大学教授だった杉全直(すぎまた・ただし)さん(故人)と濱野さんの作品が紹介されています。

杉全さんは1952年の“もく星号墜落事件”をテーマに占領軍内部の隠された過去が暴かれていく「風の息」(『赤旗』連載)、濱野さんはきわめてまれな決定的瞬間を捉えたニュース写真から復讐のドラマが始まる「十万分の一の偶然」(週刊文春連載)。いずれも、挿画を見ただけでも小説の雰囲気がわかりそうな“鬼気迫る”単色の世界。

ストーリー展開と主な挿画の数々、取材と挿画、掲載までのプロセス、杉全・濱野両氏による作品および清張氏の思い出、取材時のエピソードなどが生々しく綴られて、絵心乏しき私にもひときわ興味深く清張の世界に浸ることができます。

濱野さんは清張氏が最も油が載っていたとも言われる昭和50年代にコンビを組んで「利(後に『馬を売る女』と改題)」(日本経済新聞)、短編集「隠花の飾り」(小説新潮)、「天才画の女」(週刊新潮)、「黒革の手帳」(同)、「幻華」(オール読物)、「数の風景」(週刊朝日)など多くの名作を手掛けています。

挿画展には、昭和57年2月から朝日新聞に連載された「迷走地図」が翌年5月に終了した際に清張氏から濱野さんに宛てた達筆のお礼状が紹介されています。その前段を引用させていただきます(原文のまま)。

拝啓
 拙作「迷走地図」がようやく終わりましたが、いつも申し上げる通り、貴台の挿画は毎回力作でありがとう存じました。ご苦労をおかけしたことに感謝しております。
 おそらくこのお仕事は貴台の代表作の一つになると信じます。デッサンの確さ、陰影濃淡における量感、構図の的確さ、まことに美事なもので、近来輩出するいわゆる「イラストレーター」なるものとうてい足もとにも及ばぬところです。
 この傑作を「迷走地図」に頂いたことを大きなよろこびとしております。(以下略)

濱野氏の挿画

なお、千寿会を率いるのはメーソー・チズ」ではなく、もちろん「聡明千寿」であります。そこのところを一つ、よろしくお間違いなきよう。

亜Q

(2005.4.17)


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