子育て成功の尺度

千寿先生の愛娘アンナちゃんが英国オックスフォード大学に合格されたそうだ。これまで音楽教育に力を入れておられたから音楽系に進学されると思っていたが、何と専攻は「物理」。物理と言えば、千寿会メンバーではスイスのCERNでノーベル賞の種となる研究開発に従事されているトミー、日本の理化学研究所でメシの種にされているかささぎさんらがおられるが、学生時代に麻雀の奥義を究める道に踏み迷った愚生には青春の蹉跌を味わされた悩みの種だった。そんなことはともかく、世界最難関の大学、しかも英語での受験に現役合格とはなかなかできるものではない。本人の努力と才能に加え、おそらく幾多の苦労を乗り越えて千寿先生の献身的な子育てが実ったのだろう。

ところで、子育て(ここでは大学入学年齢の18歳ごろまでをイメージしたい)が成功したかどうかはどう測ればいいか。10人10色の意見がありそうだが、了見が狭い愚生は「親が価値観を置く分野に子を誘導し、本人の才能を一定以上に発揮させる」ことを重視してしまう
。要するに「親のエゴ」と言ってしまえば実もふたもないが。その意味で、一女三男をすべてプロ棋士に育てた小林正義氏(もちろん、千寿先生らの父君)は満点だし、碁をたしなまないまま30歳を迎えようとしている独身の長女・長男を抱える愚生(そろそろ孫の顔がみたい)は大幅な減点を避けられない。

自分が愛する碁の魅力を子供に十分伝えられなかった悔悟の念を、私は碁を通じた交友の場で子持ちと想定される初対面の相手に愚痴ることがある。これまでの経験ではほとんどの人が同調してくれて、「そもそも今の若い連中は遊び事が多過ぎる、昔は囲碁将棋、麻雀、トランプ、カルタぐらいは誰でもできた」などと互いにたっぷり悲憤慷慨できるし、たまに碁を教えるのに成功された方がいれば、子供の教育論などから話題を弾ませていけるからだ。実はこの手を最近地元で開かれた高校OB囲碁対抗戦で使ったばかりなのだ。

私の地元は埼玉。浦和、熊谷、春日部、そして来年1月に初の棋聖戦タイトルマッチを予定する川越が加わってざっと40人近い同好の士を集めた出身高校対抗戦を終えた後の懇親会の席上。周囲に見知らぬ人ばかりの中で新参者の私はたまたま目の前に座った人に「お子さんには碁を教えられましたか」と問いかけた。その人はすぐ「はぁ、子供と孫を含めて6人が碁をたしなみます」と答えてくれたのだが、どこか対応がぎこちない。「それはすばらしい。まさに親の鑑ではないですか。私なんぞは二人の子供から離反されてさびしい毎日を送っているのです」などといい加減にフォローして隣の人に同じ質問を振ると、隣の人いわく、「こちらはプロ棋士の・・・」。

その刹那、私は「大澤姉妹の父上でしたか!」と遮るように口を挟んで臍をかんだ。碁会の会場は北与野、しかもその人の胸には「六段・大澤」と名札があるではないか。事前にちょっと注意すれば、女流鶴聖などのタイトル歴を持ち、現在は千寿先生の後を継いで文化交流使を務める大澤奈留美四段と、世界戦で金銀メダルを同時受賞されるなどの活躍が耳新しい女流アマ強豪摩耶さんの父君だと気づいても不思議ではなかった。当日の碁会ではおそらく私以外の誰からも知られていた大澤パパが、どこの馬の骨とも知らぬオヤジから「子供に碁を教えたか」と尋ねられれば、「もしかするとおちょくられているのか」と警戒しても仕方があるまい。

しかし、大澤パパは人柄もすばらしかった。埼玉出身高校の数年後輩に当たる私が衆人の前で恥をかいた愚問をかき消そうと次々に話しかけ(さらに愚問を重ね)ても、迷惑顔をまったく見せない。そもそもパパはいつ碁にのめりこんだのか、どんな人生を送ってこられ、今はどんな生活を続けられているのか、子供さんは何人?みんな碁が強い?お孫さんは?教育に挫折はなかったのか?今は北与野の碁会所で子供たちを教えておられるようだが、教える際に何を重視しているか?碁会所の中には「大澤文庫」と呼びたいほどの本がたくさん置かれ、ほとんどが鉛筆で乱雑に傍線やメモが書き込まれているが、本を汚したのは誰(ジョーン・バエズ風に)?

こうした愚問に対するパパの賢答を、酒席の雑談の中で覚えていることを順不同で挙げてみよう。

子供のころは野球が好きだったが、体が小さいからあきらめた。予備校時代に比較文学研究者の中西進さんに国語を教えられてそのすごさに驚き、特に万葉集の師として生涯尊敬している。大学時代に師事したのは梅原猛さん。パパは日本の古典文学、京都学派の人文学、哲学、宗教学等を愛されたらしい。「大澤文庫」には棋書に限らず、単行本から文庫本までまことに多彩。五木寛之、立松和平、山折哲雄、村上春樹、そのほかたくさん過ぎて愚生の頭に治まりきれなかったが、雑読のように見えてかなり系統立ててお好きな分野を読み込まれている印象だった。愛読書にどしどし傍線やメモを入れる癖は元外交官の評論家、佐藤優さん(私の高校の後輩らしい)から教えられたとか。「若いころに速読修行を積んでおけば、もっと本が読めた」と後悔される読書家だ。

碁を覚えたのはこの学生時代。その後、荏原製作所副社長を務められた故村上文祥さん、八幡製鉄に勤務された菊池康郎さんらと同様、三菱自動車で長年勤務生活を続けた(ちなみに、亜Qの愛車は三菱の「アイ」でした)。前述の中西進さんと一緒に2013年度文化勲章を受けた高倉健さんは、三菱自動車勤務時代の先輩でもあった。

子供さんは4人。長男に碁を教えたが、長女の奈留美さんと次女の麻耶さんが傍で見ていていつの間にか強くなった。小学校低学年で高段者になったので緑星学園に入れた。山下敬吾棋聖挑戦者は奈留美さんの同期。パパが経営する北与野の碁会所に時折手伝いに来てくれたが、長女は文化交流活動、次女は主婦業と子育てもあって最近はなかなか来られない。パパ自身は健康に恵まれ、首都圏でも多数の生徒を受け入れてて子供教育に力を入れている。全国の小学校チャンピオンクラスの子供もかなり出てきた。

碁の教育に当たっては、「囲碁は宇宙そのもの」であり、「人間が生きるすべての英知を包含」していることをまず銘記させる。碁の才能は直感力に顕れる(なぜか、故米長邦雄、故久島国夫、石井邦生さんら三人の「クニオさん」の発言を挙げて)。だから自分は、故安永一氏が唱えた「考えるは常のこと、棋席は間髪なし」と子供たちを指導している。

共通の知人も少なくなかった。棋士を含む棋院関係者は別にして千寿会関係者に絞っても、前出のCERN研究者、トミー、三田会を束ねられるナルシー、孔令文七段の愛妻清芽(さやか)さん(小林覚棋士の令嬢)と小林正義さん、青木喜久代パパ
ら、棋士の父にも話が及んだ。近い機会に、麻耶さんの熱烈ファンを自称される千寿会の梵天丸さんをお誘いして当碁会所を訪れてみようと思う。

亜Q

(2013.11.22)


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