凡人雑考~囲碁番組に張り付いた無粋なテロップ

日曜日の楽しみといえば、NHK杯の囲碁中継。終盤たけなわの2月末は準々決勝、山下敬吾天元vs河野臨元天元という屈指の好取組(以下敬称略)だったが、黒番・山下には辛い進行だったらしい。下辺の競り合いで秒読みに追われて得心しないまま無理気味に仕掛け、変化が少ないコースの中で時間いっぱい頑張っても局面が好転することは最後までなかった(淡路修三九段の解説)。ほぼ同時期に打たれたNEC杯でも山下は河野に競り負けている。山下は河野が苦手なのか、それとも早碁そのものが苦手なのか――。

ともあれ、名局とは言えないまでもザル碁の私には十分楽しめたはずの囲碁中継に水を差したのが、画面右下にべったり張り付いた無粋な津波警報マップ。面積にすれば9分の1程度かもしれないが、プロの碁は全局が関連する。解説者は、右下に生じた白からの花見コウの味が黒にとって致命傷だと繰り返し指摘していたが、マップに隠されてさっぱり見えない。せっかくの楽しみがイライラ時間になってしまった。

念のためチャンネルを切り替えてみると、NHK総合放送、民放、BSを含めてすべてマップは同じ扱い。きっと放送法に定められた緊急時の対応なのだろう。でも、通常の報道、娯楽などの番組ならマップはさほど邪魔にならないが、囲碁番組ではまさに致命的。視聴料を取る公共放送の囲碁番組担当者なら少しは碁がわかるはず、テロップをどうにかしないと放送の使命が達せられないではないか。

私が放映現場の担当者なら、テロップ表示面積を縮小するか、数十秒ぐらいの間をおいて画面に出す。そしておそらく上司から大目玉を食らうだろう。言うことは分かっている、「NHKたるものがコンプライアンスを守らずにどうするのか」。でも、視聴者が警報情報を常時注視しなければならないなら他の番組に切り替えればいいし、実害はまず考えられない。週に1度の囲碁番組を楽しみにしている視聴者に良かれとする行動を誰がとがめるのか。まさかクビにはならないだろうが、必要なら責任は取る。その前に視聴者に今回の措置の是非を諮っていただきたいなどと、(私は世間からの喝采をかなり期待して)エラソーに抗弁するだろう。

もっとも、このリクツには大きな弱点があるかもしれない。つまり、「一担当者が恣意的にルールを代えていいのか、ひとたびそれを認めれば、世の中は大混乱に陥るだろう」。物事に不具合が生じて何らかの対応が必要になった時、いつ、誰が、どんな目的で、何を根拠として、どのようなプロセスで判断し、実行するのか、「そもそもお前に資格があるのか」と責められ、下手をすると国会あたりで「公共放送の職員としての行動原理」をあれこれ問われるかもしれない。そんなことは面倒。やっぱり知らん顔していよう――てな具合になりそうな気もする。

ただ、事なかれ主義とか当事者意識の排除とかは、碁とは正反対の理念だろう。「信号を墨守する人は碁が強くなれない」とはいかにも乱暴な言い草だが、かなり真理を突いているのではないか。危険や害悪や迷惑を社会にかけない自信があるなら、自己責任で「百万人と雖(いえど)も我行かむ」がカッコいい。気になるのは、世界大不況で再び脚光を浴びた経済学者ケインズさんが唱えた学説。内容はチンプンカンプンだが、何やら経済を活性化する有効需要なるものを説き、肝心なのは「その決定は賢人が行う」とするくだり(学説としてはちょっとずるい気がするが)。

私はもちろん善人だし、某県に在住する県人でもある。「では賢人か?」と問われれば、『週刊碁』の「アマの碁いちばん」に登場する片岡聡九段みたいに「テヘヘ、面目ない。もともとダンディーではなかったんです」と答えるのみ。何だかわからなくなってきた時は偉大なる井上ヨースイ様にすがろう。本欄でいつか使わせてもらったことがあるが、臆面もなくもう一度。「~本音を隠し/建前飾り/笑いは逃げの切り札/だから今日も裏道小道~」と今夜もがなりたてるのだ。

亜Q

(2010.3.2)


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