「棋士」という職業をどう説明されますか

人間の尊厳に関わる「納棺師」という立派な職業があることを知ったのは、もちろん映画「おくりびと」のおかげ。でも、映画が知られる前、納棺師の方は職業を他人に聞かれた時にどんな風に答えたのだろう。「冠婚祭礼関係です」と答えれば、「葬儀屋さん」ぐらいに思われることが多いと思うが、こまごまとした説明を避けて「結構苦労があるのですよ」程度にお茶を濁されてきたのではないだろうか。

学者や研究者も他人に職業を説明するのが難しそう。「おくりびと」とは違って職業自体は知られている場合が多いだろうが、「哲学」「数学」「文学」「論理学」「理論物理学」「考古学」とか、昭和天皇が研究されていた「植物学」などと答えると、私のような凡人は「どこかの大学や研究機関に所属されて教師をされているのだろう」と思い込み、「社会・経済に直接役立つというより、主に若い人を教育するための一種のサービス業従事者」または「全く趣味人」と見なしてしまうことが多い。要するに、「何に役立つのかわからない」。碁に例えれば“厚味”を“実利”に結び付ける発想が完璧に抜けているためだ。

ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊さんは「研究の中身を説明することはできても、『何に役立つか』と聞かれるといつも往生した」と話しておられたし、数学者の藤原正彦さんや秋山仁さん、考古学者の吉村作治さんらはむしろ本業外の文筆、タレントとして知られ、私ごときは研究の中身をまるで知らない。

学者、研究者の場合、中身はともかくジャンルは知られていることが多い。しかし「棋士」はどうだろう。まだ女流タイトルを獲れなかった25歳直前の頃、ヤッシーこと矢代久美子五段が「エステに行って困るのは、『お客さんはどんなお仕事ですか』と聞かれること」と『週刊碁』に書いていた。普通のOLが顔を出さないウイークデイの昼下がり、と言って主婦にも見えない。「きっと、何かカッコいい職業人なのだろう」とエステのスタッフが想像し、やや追従気味に尋ねたのかもしれない。

自分の職業を答えるには、相手のレベルや関心の度合いを読む必要がある。私のようなサラリーマンなら気が楽だ。「貧乏暇なしの雇われ人です」なぞとサラリと流せるし、相手の関心が高い場合は「●●関係です」、さらに追及されれば隠す謂れもないから「○○社に勤務してこれこれの仕事をしています」と言うだけ。余計な説明は要らない。

ところが「棋士」の場合、相手の知識・理解度、さらに“尊敬の度合い” (ごく稀には“軽侮の度合い”さえもあるかもしれない)を見誤らないようにしないと、やたらに汗をかかされたり、場合によっては不愉快な思いをさせられる可能性もあるのではないか。エステ嬢を軽く見るわけでは決してないが、ヤッシーの場合は「財団法人の専門職」とか「特殊な研究職」ぐらいにかわすのがよさそうだ。

そうは言っても、日本ならば「棋士」も「力士」もほとんどの人に通じる。愛好者も少なくないから、思わぬ人から尊敬されてこそばゆい思いをすることもあるだろう。しかし碁が普及していない外国ではどうだろう。何よりもまず「碁」を説明しなければならない。「あ、ゲームの一種ね」と簡単に言われたら辛い。碁の歴史、愛好者にはどんな人がいるか、目的は何か、何に役に立つのかといったことをるる説明し、「陣取りとか石の殺し合いというより、互いの“世界観”がせめぎ合う高度な知的スポーツ」であることを分かってもらうには、1時間や2時間ではとても足りないだろう。

チーママはこれまで何十年間も、“囲碁後進国”欧州を中心に普及活動をされてきた。日本棋院から派遣されたり、ごく内輪の交友関係やボランティアとして短期間訪問するだけなら、狭い範囲内で職責を尽くせばいい。しかし「国際文化交流使」として文化庁から派遣されたここ3年近くは言わば日本を代表する「全権大使」。とは言え、お手伝いさんはいないから、毎日が嵐のようだったのではないか。仕事場が移動するたびに国を移し住居も替える。日本とはまるで異なる生活習慣を受け入れながら、愛娘のアンナちゃんの学校やピアノの置場も考えながら。

関西棋院の円田秀樹九段も文化交流使として南米諸国を中心に普及活動されてこのほど帰国された。チーママと円田九段の活動は誰にでもできることではない。お二人には心から「お疲れ様でした」と迎えたい。と同時に、お二人の活動を継承する若い棋士の“立志”を待ち望みたい。

亜Q

(2009.3.24)


もどる