ザル碁が雑誌に載っていた頃

勤務先の窓際で暇つぶしに某ホテルの広報誌を眺めていたら、眼に優しいグリーン碁石を提唱された愛棋客、夏樹静子さんのエッセイが目に留まった。

タイトルは「狐狸庵先生との一碁一会」。広報誌の編集部はもちろん「ホテルの楽しみ方」的な話題を求めただろう。しかし中身はホテル礼賛などから遠く離れた碁の話。ある経済誌の企画で小説家二人がホテルの一室で碁の初手合いをして一方が勝ち他方が負けた、それだけ。ホテル広報の立場からみればまさしく失敗記事だろう。

しかし、ザル碁アマの眼からは別の面白さが見える。何しろ、登場人物が大作家の遠藤周作さんと気鋭の女流推理作家として売れっ子だった夏樹静子さん。遠藤さんは当時自らを狐狸庵(こりあん)と号し、新聞・雑誌に次々に話題作を発表する傍らテレビなどでも大活躍。週刊誌では「狐狸庵閑話」などというエッセイを、別の経済誌では「周作十番勝負」と銘打って主に企業経営者との“真剣勝負”を紹介しながら対局相手との対談を連載していた。

ところがご明察の通り、この周作先生は碁聖秀策とは「月とすっぽん」どころではない。このあたりは千寿先生が熟知されているはず(「それでも亜Qよりは強かった」などと言われたらどないしょ!)。いずれにせよ、「十番勝負」では強豪ぞろいの財界人を相手にだいぶ負けが込んでいたらしい。この頃狐狸庵先生は、嫌煙権がまだ確立されていなかった当時いち早く完全禁煙を掲げ、自分より強い人は客となるべからずを看板にした「宇宙棋院」を開いて弱いアマをやっつけて喜んでいたようなのだが。

そこで、いたずらと悪巧みが大得意な狐狸庵先生は考えた(に違いない)。慶應大学の後輩でもある夏樹静子さんが碁を打つらしい。しかも習い始めて当時まだ2年程度。いかにミステリークイーンとは言え、売れっ子だから碁の勉強には手が回らない。棋力は多寡が知れている。財界人ではないが財界人のファンが多い――。そこで狐狸庵先生はクククと独り肯き、次の対局相手に彼女を指名。しかも悪辣なことに彼女を白番にした。こうした仕掛けを、ザル碁アマとしての狐狸庵先生の切ない心根とみるのか、「たまには勝ちたい」という我欲まみれの童心とみるかは、生来まじめで高潔な私にはわからない。

結果は当然、黒番の狐狸庵先生の勝ち。「先生は少年のように喜ばれ、ホテルの玄関まで送ってくださり、握手してお別れした。(狐狸庵先生はその3年ほど後73歳で亡くなったので)それが一期一会になったが、先生の大きな掌の温もりが今も私の中に残っている」と夏樹さんは品性高くまとめている。

ところで狐狸庵先生の棋力はともかく、当時はザル碁アマの棋譜が一般誌にもかなり掲載された事実に今さらながら驚かされる。「周作十番勝負」は1980年代から90年代初めにかけての経済誌だが、千寿会の長老ちかちゃん(濱野彰親画伯)が文壇名人を2期獲ったのは同年代最大部数を誇った一般週刊誌の売り物企画での快挙だった。大竹理事長や石田名誉本因坊、武宮元名人・本因坊らもあちこちの新聞・雑誌で指導碁を載せておられた。千寿先生も21世紀の初めごろまで『週刊ポスト』の誌上で「囲碁天狗サロン」を連載されていた。今眼にするのは、小川誠子さんが経営者向けの雑誌に連載されているぐらいしか思いつかない。日経新聞の「明日への話題」のような随筆欄では棋士が登場することが少なくないが(千寿先生は現在日経夕刊に毎週土曜日連載中)。正直な話、ザル碁アマの棋譜をみて読者が増えたり広告を出稿しようという企業があるとは思いにくい。ま、時代は変わったのだろう。

蛇足ながら、『文藝春秋』最新号には吉原(旧姓梅沢)由香里姫が巻頭グラビアに載っていた。
「この人は誰でしょう」と掲げられた幼き日の写真がなかなかの傑作。
このサイトを覗いていただいた変人諸兄はきっと、ニヤリとされることでせう。

亜Q

(2011.8.11)


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