日韓囲碁界が育んだ愛情の樹 〜金賢貞&中根直行が4月2日に結婚〜

 日韓国交回復40周年だそうです。 「まだそれだけしか経っていなかった?」とあきれるほどの最近の両国の蜜月ぶりですが、 第2次大戦時はもちろん、歴史を遡るとむしろ不幸な過去の方が目立つような気がします。 その中にあって、ひときわ息長く両国の親善に貢献してきたのが囲碁界でしょう。 特に、チクン大棋士の功績はとても大きいと思います。

 それを新たに象徴するような目出度い話を聞き込みました。 韓国出身女流棋士、金賢貞(キム・ヒョンジョン)三段中根直行八段が4月2日、名古屋で結婚式を挙げるそうです。

 ヒョンジョンは『週刊碁』が新年にスタートしたコラム「アンニョンハセヨ(こんにちは)」の筆者。 第1回目の1月24日付では達者な日本語で日韓文化比較を論じて好調な滑り出しを見せてくれました。 来日は12年前の15歳の頃。日本人と結婚して日本に住んでいたヒョンジョンのおばあさんが日本棋院中部本部の吉岡薫七段に孫を紹介したらしい。

 吉岡七段といえば、囲碁関係者の間では知る人ぞ知る「名教師」(機会を見てご紹介させてください)。 その昔、大木谷(実九段)と共に新布石を研究したり、囲碁名局の数々を著して囲碁普及に貢献したアマ棋客、故安永一氏の内弟子になった経験に温かい人格が相まって“平成の木谷”と呼ばれています。 現在までにプロ入りした直弟子は、ヒョンジョンのほかに下島陽平七段、川田晃平三段、加藤裕輝四段、そしてこの4月1日には柳澤理志君(長野県佐久出身の16歳!)が入段するそうです。

 来日した当座のヒョンジョンは「こんにちは」も「ありがとう」も話せないし、中学最後の学年は碁もやめていたらしい。 内弟子に入ってからは、「碁よりも日本語優先」(吉岡師匠)。 込み入った話はおばあさんに電話で通訳してもらったそうですが、 1日目から本人が猛勉強してすぐに日常会話ぐらいできるようになったらしい。 しかも吉岡家には、優しくて魅力的な師匠の新妻に加えて、 同年齢の内弟子の先輩・ヨーヘー(“碁界の氷川清”と呼ばれる下島七段)がいた。 こんな素晴らしい環境の下で、ヒョンジョンは日本に早く順応できたようです。

 師匠が見たヒョンジョンは「気配りが行き届いた明るい性格。頭が良いけれど熱くなりやすい」。 私(亜Q)がヒョンジョンに初めて会ったのは、彼女が入段したばかりの5、6年前。 コロコロした体格、達者な巻き舌、けれん味のない元気な打ちっぷりを目の当たりにして、 西部(日本より西の韓国)から来た“カラミティー・ジェーン”みたいな女の子という第一印象でした。

 その彼女が毎年少しずつ「おんなっぷり」を上げていきました。 人間観察の達人、私はいつしかこのヒョンジョンを、 現在の日本では希少価値となった真の“大和撫子(なでしこ)”だと確信するようになりました。 そう言えば、悪を懲らしめる早撃ちの鉄火娘、カラミティー・ジェーンも密かに恋をする。 野に咲く百合の花にひっそりと打ち明けたりするうちに、淑やかなレディーになっていきます。

 その相手が何と、“碁界のアンパンマン”こと、ナオユキだったとは! (実際、ナオユキは棋聖挑戦者のユーキ・サトシ九段以上の坊主刈りで頭が大きくて丸いのだ)。 吉岡師匠もこのあたりのいきさつはご存じなかった様子ですが、ナオユキは吉岡門下の客分格。 「まじめで責任感が強く、後輩の面倒見が良い。自分の弟子は皆、ナオユキの影響を強く受けている」 というのが、師匠のアンパンマン評。 ところで、食べること、飲むことに目がない彼には、バリウムも美味なる飲料のようです。 棋士の集団健康診断時、吉岡師匠はじめ弟子たちが喉をゲーゲー言わせて苦しむ中、 さっさとバリウムを飲み干したアンパンマンはそばへ寄ってきて、 「先生、バリウムって美味しいものですね!」と一声、みんなに勇気を分けてくれるそうです。

 考えれば考えるほど、二人は良きカップルに思えてきます。 ヒョンジョンの妹孝貞(ヒョージョン)は片言の日本語がかわいい韓国棋院の棋士。 姉妹で日韓囲碁界の架け橋ともなるべき象徴的な存在です。 若手への影響力が強いアンパンマンとの末永きご幸福をお祈りします。

 ところで小林ファミリーの出身地、長野を含む中部本部吉岡門下は、シャトル門下と固い絆があります。 もう5年ほど前になりますが、『週刊碁』が企画した研究会対決で両門下が激突したのです。 メンバーはシャトルチームがセーケン以下、元気だったハンス・ピーチ、孔令文。 吉岡チームはヨーヘー、カトー・ユーキ、山森忠直。結果は2勝1敗でシャトルチームが勝ち。 ただ一人負けた某棋士は、潔く賞金を辞退したそうです(ハンス・ピーチ談)。

亜Q

(2005.1.30)


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