碁縁曼荼羅~“テンネン系”棋士を探る

 大芸術家、数学の天才、詩人・小説家には、天然系としか思えないような変人が多いような気がする。我が囲碁界ではどうだろう。

 “変人”の定義や印象は人さまざまだろう。「ごく普通の(と思われる)良識や感性から逸脱した(と思われる)言動をごく普通のこととして実践される人」と言えば、ま、当たらずとも遠からずだろうか。狭い日本では、どちらかと言えばあまり良いイメージではないかもしれないが、何を隠そう、私はれっきとした“変人ファン”なのだ。言うまでもないことだが、私はどこにでもいる凡夫・愚才の一人。けれど“変人ファン”を公言してはばからないという意味では、30%ぐらい(古女房によれば70%ぐらい)変人の要素があるのではないか。たとえ凡人であっても、変人のよさを認める度量あるがゆえにエライと、ひそかに喜んでいたりする。そんな個人的な事情から、当然のように私の興味は囲碁界の変人探しに向かう。本サイトを訪れる変人諸兄もきっとご関心がおありなのではないか。

 真っ先に思い浮かぶのは、安藤和繁さんとおしどり棋士の中島美絵子さん(右写真)。テレビ番組や囲碁イベントなどではごくフツーに振る舞っておられるようだが、ネット(「みえみえブログ」をご参照ください)の中では自分の世界に戻られるからだろうか、世間一般の主婦兼職業婦人とは思えない言葉が花吹雪のように乱れ飛ぶ。例えばこんな具合(例がたくさんあり過ぎるので最近のものをテキトーにつまみました)。

題~くもとくも~

はじめに雲の写真、そして次の本文に続く(私が勝手に付した「/」は改行の意です)。

笑ってる?(数行間隔)/怒ってる?(数行間隔)/心を空色に(1行間隔)/気持ち純に(1行間隔)/優しく愛しく恋しよ(終)

 これが、今年10月で33歳になる2児の母親の文章。いい加減慣れても良さそうだが、ブログが更新されるたびにのけぞってしまう。5歳年下の安藤棋士に「奥様は詩人ですね」と問いかけたところ、「ボクも変わっているからちょうど釣り合いが取れているんです」とのろけられた話は以前に書いたので、現役棋士の中から私が“テンネン系の元祖”と確信しているお方に話を進めよう。

 元祖と言えば、ためらいなく浮かぶのは依田紀基元名人・十段・碁聖その他、結城聡天元その他、中沢彩子元女流本因坊・鶴聖、矢代久美子元女流本因坊のテンネン系四天王。ただ男性棋士の場合は、中年期に入るとそれなりにフツーのおじさん帰りするケースが多い。小林光一大棋士がその典型例だと私は独り決めしている。そこで今回は女流のお二人に焦点を当てさせていただく。いずれもB型、「若手」ともてはやされた時代は遠く去って、中沢さん(Ganmo姉)は今年10月で40歳、矢代さん(ヤッシー)は7月で35歳。この分野に関しては異常な嗅覚を誇る私は、お二人の“テンネン系資質”をとっくに十数年前から見抜いていた。

 Ganmo姉については、「無人島で暮らすなら何を持参していくか」とのアンケート回答が私の嗅覚をイタク刺激した。当時放映されていた『誰でもピカソ』という番組に投稿するための道具・素材と並んで、「大矢浩一監修“次の1手”(もちろん、当時刊行されていた『棋道』付録のこと)を持って行く」と明言されたからだ。Ganmo姉は棋士ブログのパイオニアの一人。「仏壇にお供えした水が減っていたのは、仏様が飲んだからかもしれない」だの、「お雛様の飾りには湿気たあられよりもおせんべいのほうが良いだろう」だの、「お米を研ぐときは一粒一粒に呼びかける」だの、「2月29日のない3月の始まりは布団干し日和」だの、「この間の飲み会では大黒マキの“ラ・ラ・ラ”を歌った」だの、「それを聞いた高野クンが、やはり日本語の歌のほうが良いよ」と言っただの、せっかく“棋力アップ”と目標を掲げたのに毎日だらだらする自分に「こんなことではいかん、いかんですよ~」と嘆くだの、「出不精の自分を叱咤して日本棋院に極力出かけることにした」のにどうやら三日坊主に終わったらしいことなどを包み隠さず報告してくれた。

 Ganmo姉の場合は自身のサイトでこっそり露出したけれど、ヤッシーは『週刊碁』という日本棋院が発行する新聞に“ナチュラル通信”と題したコラムでテンネン系ぶりを奔放に書き込んだ。例えばタイトル戦の勝者が「この碁はたまたま幸いしましたが、まだまだダメなのでいっそうの精進をいたします」などと語るのは「気色ワルー」と断じ、独身時代に住んでいた晴海地区から出かける途中に警察だか刑務所だかがあって、「時々うめき声が聞こえるのは、折檻でもされているのだろうか」と心配し、「私はまだ自転車に乗れないが、趣味のピアノは短期間に“月光”を弾けるようになった(ただし第1楽章のみ。これを聞いたGanmo姉はベートーベンではなくドビュッシーの作曲と間違えた)」と自慢し、やにわに「コーヒーが好きである」とおじさん言葉で趣好を語ったり、「“オクラ納豆メカブのぶっ掛けご飯”が得意料理」と公開し、当時はやり始めた『ヒカルの碁』の内容そのものより、石の艶まで描き出す絵のすばらしさに触れて「すごい、嗚呼、プロってほんとにすごい」と、自らの感動を読者にぶつけるのだ。ヤッシーはその後、「30歳までに」と自ら設定された結婚期限直前に金澤秀男棋士をつかまえて公約を果たされたが、おっとりされた金澤さんの口調から拝察するに、主婦となってもヤッシーの奔放ぶりは少しも変わっていないだろう。

 ところで、彼らに共通するのは「変人」と言われても何の痛痒も感じないだろうということだ。「私は私の道を行く。根っから陽気にできてるの。友達ならそこのところわかって~」と阿久悠さん(ジョニーへの伝言)みたいに達観されているのだろう。亜Qもたまには「変人」と呼ばれてみたい気が、しないでもない。

亜Q

(2011.1.31)


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