モーツァルトとアインシュタイン

名人リーグ小林覚−山下敬吾戦
名人リーグ小林覚−山下敬吾戦
(週刊碁2月14日号より)
 名人戦リーグが第3ラウンドに差し掛かった。シャトルはその先陣を切って3連勝、ヨタロー碁聖が2連勝で追う展開だが、何も年初の予想がズバズバ当たっていることを自慢したい私ではない。中国唐代から雅人、士君子の「四芸」とされ、風流韻事やたしなみとしてもてはやされたという「琴棋書画(きんきしょが)」について――。

 無敗同士で激突したケーゴとの序盤を並べてみて欲しい。碁はまさに一幅の絵であり、音楽でもあることを改めて感じさせてくれた名局ではないか。黒が2手先着した右辺の内側から高く1間にカカリ(白4)、黒が右下空き隅に先着(黒9)して手を抜いたタイミングを捉え、右辺割り打ち(白10)、6線ボウシ(白12)、ツケ、ハネ返シ(白16、18)と緩みなく進め、右下を周到に準備(白24と黒25の交換)してから、まさに次の1手とも言うべき白26で本局の序曲が終わる。先着の白10と相まって、何とお洒落なことか。

 絵画なら素描が終わったところだろうか。碁を知らない人には、「右辺を切り拓いた黒い重戦車に白い細雪(ささめゆき)が降り積もりゆく姿」と見えるかもしれない。うっすらと、しかし満遍なく。「白26に構えればまあまあ?いや、悪かったのかな、序盤は」――。2月14日号の『週刊碁』には、まさに白26を考慮中のシャトルの対局姿とともに、彼一流のお洒落なコメントが紹介されている(ご参考までに、碁盤上の黒白の石が織り成す形を“絵文字”と捉え、機知と風流で読み解く右脳型の問題が「Camelliaの碁楽館」にあります)。

 またまた私は小柴先生を呼び出したくなった。先生は碁を嗜まれるわけではないが、彼が説く基礎科学の重要性、美しさは、そのまま碁に置き換えられることがあまりにも多いから(偉い人や有名人に会うと何度でも自慢したくなるからではない。決して誤解することのなきように)。この点で昔ひとかじりした『徒然草』の兼好法師にちょっと似ているような気がする。先生のコメントは「モーツァルトとアインシュタイン」(下記)。

 モーツァルトとアインシュタインを比べた時、私はモーツァルトの方が本当の意味での天才だと思う。なぜなら、たとえアインシュタインが相対性理論を思いつかなかったとしても、ほかの人が論理を辿っていって同じ真理にたどり着くことは可能だ。ところが、モーツァルトがつくったあの素晴らしい曲は彼以外の誰にもつくれないではないか――。

亜Q

(2005.2.11)


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