青年よ「大使」を目指せ

 埼玉県和光市あたりで研究者生活を送るかささぎさんは、もう若くもないのにいつまでも夢追い人だ。いつの日か中国や韓国の若手強豪を打ち破って囲碁世界一になろうと、職場の後輩でもあるトップアマに何子置かされても屈せず挑戦しているだけではない。亀梨先生の向こうを張ってミスチルの歌をがなりたてて歌手を目指したり、島田紳介や原田芳雄に成り代わってお笑い界や映画界で衝撃のデビューをしようとお笑いや芝居に励んだり、その真摯かつ健気な姿に私は深い敬意を禁じ得ない。彼の究極の研究テーマは、きっと「初老者の突然変異」なのだろう。

 そのかささぎさんが少年のような憧れの目を見張ったのは、千寿師匠が新しい名刺を見せた時だ。何と、「松江観光大使」とあるではないか。そう言えばかささぎさんはこのところ、英会話やら旅行のガイドブックやら地方風土記やらのハウツー本を手放さずいつも勉強しておられた。せっかく生まれてきたのだから、一度は「大使」になってみたい――「大使」こそが、夢多き(あるいは移り気な)かささぎさんの最高の望みだったらしい。

 山陰地方のほぼ中央に位置する松江は、西に宍道湖、北に日本海を望む「水の都」と呼ばれる風光明媚、松江城や武家屋敷等の史跡、さらに松平不昧公(出雲松江藩の第7代藩主、松平治郷。江戸時代の代表的茶人、号は不昧=ふまい)ゆかりの茶室や小泉八雲の旧居が保存される国際文化観光都市だという。そして我ら囲碁ファンにとっては、17世紀に活躍した碁聖道策を生んだ聖地であり、神話の郷でもある。碁を愛した旧家の数寄者が大きな洞のある大木の切り株を庭に運び込んで丹精込めてつくり上げた茶室ならぬ“碁室”も残されている。洞の中で大人二人がゆったりと碁盤を挟んで打てるスペースに畳を敷き詰め、神棚を飾り、出入り口には障子を付け、まさに“橘中の歓”を地で行くと、日経新聞8月27日付夕刊「明日への話題」で千寿師匠が見聞記を紹介されていた。

 千寿師匠が「大使」を拝命されたきっかけは、84歳の日本代表、平田博則さんが大健闘された『世界アマ囲碁選手権戦in島根』(5月末~6月初め)。日本棋院常務理事として島根県と松江市に開催協力への感謝状を届けた際に、囲碁愛好者の知事、市長ご両者から依頼されて8月1日付で就任された。「大使」の名刺の裏には、上記の名所旧跡のほか、堀川遊覧船、花と鳥の楽園「松江フォーゲルパーク」、島根県立美術館、歴史館などが紹介され、名刺を持参すれば各施設に割引料金で入れる特典付き。近くには奈良時代に発掘された日本最古の温泉「玉造温泉」がある。出雲国風土記には美肌・姫神の湯と紹介されている。

 ところでかささぎさんには気の毒だが、「大使」を務めるには前途有為な若い棋士の方がはるかに向いている。千寿師匠が「文化交流使」としてヨーロッパを中心に数年間普及活動されてきたのは記憶に新しいし、弟棋士の覚さんの娘婿に当たる孔令文六段も最近「日中友好特命棋士」に任ぜられ、日中囲碁交流の架け橋となっておられる。富山県で毎年普及活動を続けている下島陽平七段は同県特産のキトキト(日本海の鮮魚)にちなんで「キトキト大使」を拝命されているし、広島県出身の山本堅太郎新鋭は若手棋士のオープン戦「若鯉戦」の主催者の一員として活躍されているらしい。故郷に錦を飾る志をお持ちの若い棋士の方は、地元を巻き込み、自ら汗を流して栄えある「地域大使」を目指して欲しい。

亜Q

(2011.8.30)


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