棋士のお行儀〜「ヒフミン待った事件」から〜

その1〜万年4級のマツオさん

『将棋世界』編集長時代、『聖の青春』『将棋の子』 などの著作が文学賞を受賞、現在作家生活に入られている大崎善生さんが6月17日付の日本経済新聞夕刊で、30年近くも昔に新宿の将棋道場で出会った「万年4級のマツオさん」の話を書いていた。こんな面白い話は即、抜粋だ。大崎さんも喜んで許してくれるはず。

マツオさんはいつも「俺は30年以上4級だ。4級の天才だ」と威張っていた陽気なおじいさん。原始中飛車という“引っ掛け戦法”が得意中の得意。序盤で罠を仕掛けて相手が引っ掛かると上機嫌で鼻歌を歌い出し、駒を持つ手つきもしなやかになる。終盤に入ると王手王手の連続で相手を追い込み、しばしば敵玉に逃げられて逆転の憂き目に遭う。

王手をかける時は必ず「王手!」と大声をかけるが、これには理由(わけ)がある。自分の王様が詰まされてしまった時に、「今、王手って言ったかよ」と相手に抗議する言い訳にするためなのだ。気の弱い相手なら「それは申し訳ない」と言って何手か戻して再開してくれるらしい。

しかしこのマツオさんがまれに「王手」と言わないことがあるらしい。気付きにくい遠い角筋や開き王手の場合だ。大崎さんも1度引っ掛かったことがあるらしい。必ず「王手」と叫ぶから相手が言わなければ王手でないと思い込み、うっかりほかの手を指すやいなや、マツオさんは猫が魚を獲る時のような素早さでさっさと王様を召し取り、「若いの、油断したな」と会心の笑みを漏らしたという。

マツオさんはしばしば“二歩”の反則も犯したらしい。いつ指したかわからないが、気付いた相手が指摘すると、マツオさんは泣き出しそうな顔して「そんな昔のことを言うなよ」。相手も苦笑いしながら「しょうがないか」という雰囲気になるそうだ。

町道場では反則ですら技や知恵の一つとしてまかり通り、笑いを誘う。勝った、負けたで殺伐となりがちな将棋道場で小さな花が咲いたような存在だったマツオさん思い出しながら、大崎さんは最近のテレビ対局で反則処分を受けたヒフミンにちらりと触れる。直接的な論評は避けてはいるが、こと将棋となると、どんな天才でもマツオさんと変わらない稚気愛すべき普通の存在だと示唆しているように見える。

その2〜新会長の“軽いお灸”?

ヒフミンと言えば、弱冠二十歳にして第十九期名人戦で大山康晴名人に学生服で挑戦し、神武以来の天才と言われた大棋士。秒読みになっても強く「1分将棋の神様」と呼ばれたが、本人は敬虔なクリスチャンだからか、「1分将棋の達人」と言って欲しいと懇願した――などと、いろいろなところに書いてある。

対局マナーはあまり評判がよくない。形勢がよくなればひっきりなしに空咳を繰り返して相手の動揺を誘い、残り1分になっても時計係に何度も「あと何分?」と聞くから時計係だけでなく対局者も一緒にノックダウンされそうになる。そして極めつけが、時折相手の後ろに回って背中越しに盤面を眺める奇行。想像するだけで「勘弁して〜」と叫びたくなる。

しかも不思議なことに、こうした一連の所業は何十年もの間見逃されてきたらしい。“待った”もきっと昔から繰り返していたが、“事件”にならなかっただけではないか。今回は桂馬を相手の陣へ進める際に「不成」といったん指し、瞬間つかみ直して「成」に替えた場面を、テレビ対局だったからリアルタイムで大勢に目撃された。紛れもなく、“待った”“はがし”だ。

某棋士が終盤の秒読みの最中、持ち駒の銀を裏返しにしたまま盤に打って“待った”即負けとされたことがあるらしい。この前例からすれば、ヒフミンには抗弁の余地がない。銀河戦の対局停止などの措置を粛々と受けたらしい。

ヒフミンは将棋を始めてから60年近く、こんな指し方を続け、自ら何の疑念も持たなかった。言うまでもなく、これは悪意のある盤外作戦ではない。「着手の善悪こそがすべて」、姿かたち・体裁には一切こだわらない。闘志ほとばしるまま、意識するやせざるや、パターン化された行動を繰り返してきたのだろう。

彼は「美(棋理あるいは自己の世界)に魅せられた天才」、言い換えれば「天衣無縫」いや、「傍若無人」。どんな鷹揚な対局者でも、何かの拍子に神経質の世界にはまり込んでしまうと、ヒフミンの態度を我慢し続けるのはかなり難しいかもしれない。しかし実績は申し分ないし、悪気はないようだし、何より将棋界に貢献してきた年配者でもある。「ヒフミンさんだから仕方がないか」と黙認・諦観されてきたのだろう。

ここまでの経緯に、私は何の疑問もない。しかしひとつ気になるのは、ルールをどこまで厳密に運用するか。その都度恣意的な判断を繰り返すのは最悪。できればわかりやすい形であらかじめ合意しておきたい。至高の知的ゲームなのに少々情けないが、つまらなそうなあらゆることを想定して「評価基準」をつくってしまう。つまり「くだらない議論は繰り返さない」姿勢に徹するのだ。

例えば5六の歩を指先でちょっと弾いて5五へ突き飛ばし、やおらつかみ直してカッコいい手つきで5五へ打ち据える。「不成」と「成」の変化はないが、これは“待った”にならないか。5五へ弾いたつもりがちょっと勢いよく5四まで飛んだらどうか。今回の桂馬も「手が踊った」という意味では同じ。

碁石だって滑りやすいし揺れて盤面から落ちることもある。石の置き方がずれるのはどうか。喫煙は、ボヤキ(三味線)は、扇子パチパチはどうか――。吾ながらつくづく抵抗は覚えるが、基本的な「基準」を作っておくしかない。

実戦の対局ではこれらを第三者がいちいちチェックすることはできない。原則的にセクハラと同様に「被害者の意向」を最優先して処置するしかない。どうしても両者が折り合えなければ「調停」に付す。それでも結論がつかずに「勝負預かり」になることもあろう。後輩や若手に不利になりがちな側面はあるが、めったに起きないだろうから仕方がない。それよりも、この類のトラブルに巻き込まれること自体が恥ずかしいから、抑制効果は上がるだろう。

今回の事件でよかったのは決着が果断だったことだ。そう、良くも悪しくもコイズミさんやイシハラさんと同類タイプに見える新カイチョーの手腕第1号ではないか。新カイチョーと言えば、「兄は頭が悪いから東大へ行った」だの「(都の教育委員たる)私の使命は国歌斉唱・国旗掲揚をすべての学校に実行させることです」と園遊会でぶち上げ、陛下から「あまり強制的になるのは本位でない」と異例のコメントを引き出したつわもの。舌禍は気になるが、何よりも常人とはかけ離れた面白みに期待したい(この点で前会長は詰まらんことで話題を提供したが、結局は面白くも何ともなかった)。

もちろん新カイチョーは、ヒフミンの行動、マナーを熟知している。対局者はヒフミンと若干の口論があったらしいが、正式なクレームはつけなかった。豪腕アマ、瀬川晶司さんのプロ編入試験などで忙しいさなか、これまで同様、不問に付すことも可能だったかもしれないが、「悪意はないがマナー違反」として、将棋界全体を考えたうえでイエローカードをヒフミンと棋士全体に突きつけたのだろう。

ヒフミンは大タイトル戦になるほど食欲旺盛。対局中、賛美歌をハミングしながら十数本のバナナを房からもがずに平らげ板チョコを10枚食べた、カルピスを魔法瓶に2本作ってきて、あっという間に飲み干した、対局中におやつを買いに外出してミルク、ケーキ、大福を買ってきた、タイトル戦の昼食に、「すしにトマトジュース、それにオレンジジュースとホットミルク、天ざる」を注文し、おやつには「メロンにスイカ、ホットミルク三杯にケーキ、モモ」を注文した――。

そしてこのヒフミンに断固抵抗したカイチョーになる以前の米長の意地を私は大いに賞賛したい。十段戦でヒフミンが「おやつはお盆にいっぱいミカンをお願いします」と聞きつけた対局者の米長は、即座に言ってのけた。「私にはそれより多くのミカンをお盆に入れてきてください」と。記録係が「ミカン臭くて死にそうです」と助けを求めたミカン合戦の結末は言うだけ野暮だろう。ミカンで負けた米長が将棋でも負けた。

亜Q

(2005.6.23)


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