亜Qの迷宮~その4(黒40~黒64、以下略)

 「ツケコシ返し」とは卓抜なる発想!もちろん善悪はわかりませんが、まさにたくせんさんの真骨頂を見る思いがしました。凡庸な愚生はこの手を見て、キャンディーズが普通の女の子に帰る解散公演で歌った『微笑み返し』を思い出しました。~お引越しのお祝い返しは微笑みにして届けます~この歌のサワリとなるすばらしいフレーズ。そう、あのころ私も若かった。令文プロがこの手を見たら、きっと微笑みを返してくれたことでしょう。

 ことのついでに大きく脱線させていただくと、『夜明けのスキャット』で1960年代末にデビューされた由紀さおりさんが米国のジャズオーケストラと組んで当時の日本の流行歌を日本語で歌ったアルバム「1969」が欧米で大ヒットしているそうです。69年と言えば、プロ棋士界では元NHK杯者の三村智保九段が生まれた年。東大紛争で安田講堂攻防戦で幕を開け、夏にはアポロ11号が月に到着。一方でベトナム戦争が泥沼化し、反戦フォークが流行り、若者たちが世界で反乱を起こし、流行語は「ゲバゲバ」でした。同アルバムは石田あゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』やら黛ジュンの『夕月』などもカバーされ、こうした古い歌謡曲が外国で受け入れられるとはまことに不思議だし、うれしいことでもあります。

 囲碁のルーツは中国ともインドとも言われますが、ここ1000年間ほどの間は日本が育んできた世界的な文化であり、69年ごろにはシューコーさんを筆頭に中国、韓国で囲碁を振興させる井戸を掘っていた頃に当たるでしょうか。その後、韓国にチョ・フヒョン(日本棋院で修行後韓国に戻って各棋戦を軒並み制覇、李鎬昌の師匠としても知られる)、中国には日中対抗戦で“鉄のゴールキーパー”と謳われたジョウ(漢字は「耳」が三つ)・エイヘイが台頭、一気に日中韓による三国志の開幕となったのはご存知の通り。『ヒカルの碁』、寿司、由紀さおりさんといった起爆剤がこれからも続けば、日本文化を象徴する頭脳スポーツとして囲碁が世界的なブームを巻き起こすこともあり得ると思います。

 そう言えば、令文先生は聖人・孔家の末裔。さらにご両親が囲碁プロの最高峰であり、少年時代には数学オリンピックで名を挙げるなど優秀な血筋の持ち主でした。そんな彼が棋聖・碁聖などを獲得したトッププロ、小林覚さんの愛娘清芽(さやか)さんとの愛の結晶、徳志(とくし)ちゃんを育て、日本棋院を足場に日中文化交流特使として活躍されていることは、小生のようなザル碁アマの端くれにとってもきわめてうれしいことです。

再掲図(黒28〜白39)

 さて、黒40でたくせんさんがご指摘される10-七とツケコシた時、次いで白9-七、黒9-六、白9-五とごく平凡に進んだとして、黒は今ツケコシたばかりの黒10-七から動いて中央の白を厳しく攻め立てないと、上辺で大きく譲歩しているだけに間尺に合わないと思われますが、白にいったん12-十あたりに備えられた後、動き出した黒2子と右上で2間トビした黒2子、さらに右下小目の黒も絡まれて大破綻を来たしそうな予感がします。しかしこれは、たくせんさんの豪腕を持たない非力な私の勝手ヨミ。中央の白に寄り付きながら右上さらに右辺から右下にかけて自然に地を増やせば、たくせんさんが理想とされる“50目勝ち”も夢ではないかもしれませんね。

 梵天丸さんは出題意図を読まれたうえで「単純に9-五に押さえるのではなく、8-四に沿って上方の白4子に圧力をかける」手を予測されました。凡庸な私は、次いで白7-四に押さえられた場合どうしていいかわかりません。黒7-五切り、白6-五アテ、黒9-五抜キ、白5-五アテコミといった具合に黒模様のど真ん中を突き破られてしまいそうな予感がするのですが。

第3譜(黒40~黒64、以下略)

 実戦で私が打った黒40は7-四。実はこの手を当ててくれたのは、何と木下暢暁(ながとき)さん(旧姓梅沢、現吉原由香里プロとの「吐血の対局」をご覧ください)でした!木下さんと言えば知る人ぞ知る、坂井秀至前碁聖と切磋琢磨された学生時代からいくつもの日本アマタイトルを獲得、この秋には世界アマ日本代表決定戦決勝で中園清三さんに敗れての準優勝。かささぎさんの職場の後輩というご縁で、私のようなザル碁アマとも「指導碁ではなく、勝負碁」(木下さん)で対局(私は5子置きますが、いつも最後に余されてしまう。棋風を完全に読まれているかささぎさんの置石は内緒にしておきましょう)してくれます。

 この木下さんとこの19日にお手合わせいただく機会(小生の5子局2目負け)に、うれしいことに彼の方から「次の手はハザマではないの」と話しかけてくれました。拙い私の棋譜を諳んじてくれたのです。まことにありがたいことに、木下さんも時折このサイトを覗いて下さる変人諸兄のお仲間だったようです。「ここを占められると、白は適切な手がないから、次は何か変化球で来るのではないか」と、次の白41(3-二切り)の着点もズバリ当てられました。

 実際、令文先生は「そう、ここが急所なんです」と肯き、少考の後、私にはまったく想定外の、しかし木下さんから見れば「当然の様子見」の3-二切りに回られました。今ツケコシたばかりの白39から動き出すと上辺でポン抜いた白4子が危ういと見ての転戦です。黒が4-四に抜けば、後に4-一からうるさい食いつきが白4子に対する一種の保険になり、黒は味良く取れないし、黒が4-一に下がれば(今打つかどうかは別として)4子を捨てて左上隅への転進を図る味付けになるのだそうです。この瞬間、私はノータイムで4-四に抜こうと思いましたが、そうすると今度こそ白39から動いてくると見て安全策、9-五へ黒42を運びました。令文先生は「相手からの利かしに対応しないプロ同士の対局みたいですね」とお世辞だかオチョクリだか不明な言葉をかけ、ノータイムで白43に抜かれました。

 左上を大きく譲ったこの分かれはきっと黒が大甘でしょうが、とりあえず白39を飲み込んで先手。黒44と右上から中央白に迫って「主導権は今なお黒にあり」と主張。白はいったん12-十三(45)とくつろげ、黒46(14-十六)と代わってから白47とあくまでも左上で稼いできました。

 以下は総譜でご覧いただきましょう。黒48(16-十三)と右下を備えた途端に右辺星に打ち込み、黒は中央白との接続を拒んで大きな戦いに入りました。黒64まで記して皆様のお目汚しを終えますが、この後20~30手ほど進んで結果的に右辺の白は黒からの花見コウとなり、白はコウに勝ったけれど「盤面で黒が20目近くいい」(令文先生)と私に教えてくれて投了していただきました。

 最後までお付き合いいただいた変人諸兄の皆様には深く感謝すると共に、体調不良を一時も早く回復いただくためこの棋譜をすぐに忘れていただくよう、くれぐれもお願いいたします。

亜Q

(2011.11.21)


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