小猫殺し

南太平洋タヒチ在住の直木賞受賞作家、坂東眞砂子さんが「子猫殺し」を書いたエッセー(日経新聞8月18日付夕刊)が議論を呼んでいるらしい。まずは、その反響をまとめた9月5日付同紙夕刊から「エッセー要約」「反響の概要」「識者の意見」を引用する(例によって、私の責任でかなりはしょらせていただいている)。

【エッセー要約】
飼い猫が産んだばかりの子猫を空き地に捨てて死なせたことを記しながら、生き物にとっての「生」の意味を問う内容。「獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ」という視点から、タヒチ島の環境の中で避妊手術を選ばなかった理由を述べ、「私は自分が育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と結んでいる。

【反響の概要】
同エッセーはインターネットで大きな議論を呼んだほか、日経新聞宛にも9月4日までに1500件近い意見が寄せられ、動物愛護団体などから抗議もあった。「人と動物の共生を目指す動物愛護の精神に反する」「残酷で不快」といった論調が大勢で、「猫は野生動物ではなく、飼い主は生命に責任を持つべし。エッセーの内容は生命を軽視している」「避妊手術により『子種を断つ』ことと、生まれたばかりの子猫を殺すことを同列に考えるのはおかしい」などの指摘があった。一方、「エッセーは納得できた」「『生と死』について書き続けて欲しい」と坂東氏の視点に理解を示す少数意見もあった。

【識者の意見】
◆ 避妊手術をせずに繁殖を防ぎたいなら、室内飼いに徹するべきだ。放し飼いにして子猫殺しを選ぶぐらいなら、そもそも猫を飼うべきではなかった。そもそも公表する必要もあったのか。批判を承知で公表したのが彼女なりに罪悪感にさいなまれての懺悔ならば、若干の救いを感じる(ねこの博物館館長)
◆ 坂東さんは批判を承知で、連載の始めから文明社会のはらむ偽善性を指摘しようとしており、言いたいことは理解できる。世の中には様々な立場があり、違いがあるからこそ世界は生きるに値する、ということを伝えるのが小説家の務め。ただ、こうしたメッセージを読者に正確に受け取ってもらう工夫がもう少しあってもよかった(小説家)
◆ 私自身、「理解」はできるが「納得」はしない。要は価値観の違いで、いくら言い争っても平行線。むしろ私は坂東さんの問い掛けが、生と死を巡る社会のあり方を再考するきっかけになればと思う。豊かな食生活、最新の医療、衛生的な環境、現代日本の快適な生活が、実は無数の動物の死に支えられていることにもっと意識的であるべきだ(大学教授)。

以上で引用を終えて我が身に問えば、遺憾ながら我がザル碁脳細胞ではグレーゾーンだらけ。わずかに言えるのは、非難轟々を覚悟して問いかけた坂東氏と、エッセーをそのまま載せた編集者(デスク)の勇気に対する共感。保身とか、事なかれとか、出る杭は打たれるとか、そういったことを超越して生のまま素材を提供してくれたことに拍手をしたい。よりによって「懺悔の告白」と受け止められては坂東氏も不本意ではないか。

あくまでも自己責任の下に問題を提起する坂東氏のエッセーを碁の世界に置き換えるなら、直ちに思い浮かぶのは、私がかねがね「糸の切れた凧」に喩えているオーメン元本因坊。以前に私は、前期名人リーグ手合いで覚さんが敬吾さんと打った碁をモーツァルトの音楽に喩えたことがあるが、詩人・オーメンの棋譜からは何とメドレーが聴こえてくる。第一楽章は元気良く「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」、第二楽章はひそやかに「星に願いを」、第三楽章は調子が変わって「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」、そして第四楽章は荘重に「見果てぬ夢(ラ・マンチャの男)」——。

目指すは「予定調和」の正反対を行く「予定波乱」。一石一石に耳が赤くなるほど血をたぎらせながら、序盤から自分の世界を創り上げていこうとしているようだ。しかし『週刊碁』によると、オーメン棋士は本因坊リーグ復帰こそ果たしたものの、このところ絶不調なのだそうだ。棋風改造の端境期にあるのかもしれないが、ザル碁の私から見れば「オーメンの碁」は誰が何と言おうとチャーミングだ。「天まで届け」と創意を積み重ねた布石構想が、たとえ最後に「見果てぬ夢」と終わろうと。

碁の醍醐味は決して勝敗だけではない。予定調和になずんだ世界に波乱を巻き起こす自己主張の手。その後の研究でたとえそれが否定されても、多くの手練れ棋士の耳目を集め、脳細胞を刺激する手はそれだけで貴重な価値があると思う。もちろんこれはオーメン棋士に限らず、棋士なら誰でも心がけていると思うが、大きい対局では表に出てきにくい。私はこうした創意工夫の一手、棋士たちの尊敬を集める構想、勝ち負けの結果ではなく、大論戦を巻き起こすような問い掛けに対して、優勝賞金に匹敵するぐらいの「技芸大賞」を贈るべきだと思う。きっとそれが碁を日々進化させ、より面白くしていくに違いない。

亜Q

(2006.9.12)


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