貴公子かく語りき②〜韓国が正しいとは限らない

 「講師の先生の中で誰が一番強いかしら?」——ある日の千寿会でチーママがこんなどぎついことをアマの弟子たちにさらっと尋ねられた。千寿会の講師と言えば、チーママ、健二七段の小林姉弟をはじめ、高梨聖健八段、剱持丈・水間俊文両七段、王唯任四段らが常勤格で、最高顧問が覚さんといったところ。このほか、林海峰・武宮正樹九段、蘇ヨウコク八段、最近では宮崎龍太郎六段、大沢奈留美三段らゲスト参加棋士は対象から除くと、ほかの先生方にはまことに失礼ながら「やはり覚さん」に決まっているのではないか。

 しかしながら、不肖の弟子とは言えども私の直接の師匠はチーママにほかならない。フェミニストの私としては万難を排して「最強の先生はチーママです」ときっぱりとお答え申し上げるのが弟子の道・男の務めだろうか。それにしても、あまりに追従が過ぎるのも筋が通らない。そもそも、言っている本人(根が正直な私)の顔がこわばりはしないか。

 こんな私の葛藤をよそに、いつの間にか周囲から「聖健さん」との声が湧き上がる。そしてチーママ自身が「やっぱり高梨先生よね」と明快に結論。どうも変だと思ったら、「アマの皆さんにとって、誰が最も手ごわいプロ棋士か」と聞かれたらしい。私は内心の動揺を押し隠し、チーママの視線をさりげなくかわした。

 そう言えば貴公子は酒の席で「指導碁とは言っても負けるのは悔しいからついつい頑張ってしまう」と漏らしたことがある。打ち方も、健二さんやジョーがポンポン早打ちするのに対して一手一手寸考を重ね、じわじわと来る感じだ。私は気前よく白星を下さる先生はもちろん好きだが、貴公子のようにアマに対しても目一杯意地を張ってくるプロも大好きだ。ついでに「アマに勝たせないプロ」について書きたくなったが、これは別の機会に譲ろう。

 この意地っ張り魂を、貴公子は日頃の勉強にも貫いているらしい。新年早々の千寿会の後、私は貴公子に棋士同士の研究会に参加しているかどうか問うた。「いえ、別に」、貴公子はいつも口数が少ない。でも、高尾、ウックン、羽根、さらに覚、立誠、片岡(さらにオーメンも)らの新旧四天王や、30代では小松、柳らのベテラン勢も含めて、研究会は今花盛りというではないか。一人ぼっちで取り残される気がしないのだろうか?ところが貴公子は、「研究会は確かにプラスの面もあるけれど、マイナスの面もあるから」と一向に動じない。

 私は『週刊碁』(1月15日号)で読みかじったばかりの韓国の囲碁興隆の祖とも言うべきソウ・クンゲンの言葉をぶつけた。昨年末、囲碁旅館として著名な「杉の宿」(神奈川県湯河原町)で開かれた通称“秀行合宿”に講師として招かれた日韓囲碁交流の貢献者クンゲン氏は「日本の棋士は研究会で互いにもっと本音をぶつけ合うべきではないか」と苦言を呈したらしい。私はクンゲン氏の威を借りて「こうした棋士同士の切磋琢磨が韓国や中国の若手を急激に強くしたのではないか」と貴公子に迫った(敬称略。なお、同合宿は12月26日から3日間、秀行老師を中心に高尾、羽根、結城、坂井ら棋士・院生総勢30数名とクンゲン、武宮両棋士の客員参加を集めて開かれ、リーグ戦では井山悠太七段が千寿会講師のジョーを破って優勝したという)。

 貴公子はそこでボソッとつぶやいた。「韓国が正しいとは限らない」。仲間同士で教え合ったからといって碁は簡単に強くなれるものではない、変な馴れ合いはかえって害になる、とでも言いたげな表情。そしてこの言葉は碁の内容にも関わっているようだ。確かに今は韓国の碁がもてはやされている。でも碁は昔からいろいろな変遷を辿ってきた。道策、秀策の時代から呉・木谷の新布石、坂田・秀行・高川らを経て、大竹は美学、林は二枚腰、加藤は殺しの碁、石田はコンピューター、武宮は宇宙流を確立したし、チクン大棋士は“地と模様を超える確かなもの”を求めた。最近では勝ち続けるウックンのスピード溢れる精密機械を高尾がじっくり流で打ち破った。いつもながら勝手読みが得意な私からすれば、貴公子は「碁の打ち方に栄枯盛衰はつきもの、韓国流にも弱点があるはず」と言っているかのようだ。

 ならばどんな勉強をしているのだろう。「もっぱら坂田先生の碁を並べています」と貴公子。「何しろ、カミソリ坂田の想いがビンビン伝わってくる」と目を輝かした。確か2、3年前には道策、秀策らの古碁を並べていたと言っていた。貴公子は“流行”を求めず、ひたすら全盛期の日本の碁の“不易”をたどっているらしい。韓国や中国の碁は一歩も引かずに間断なく打ち合い、決して相手に楽をさせない碁(柳元天元)。言わば大太刀や鉈を武器にする韓国・中国に対し、貴公子は間合いとバランスを重視しながら一瞬の隙を突いてカミソリを一閃させる、あくまでも日本流で勝負したいのだろうか。

 いつしか私は、昔流行(はや)ったテレビドラマ“若者たち”の主題歌を思い出していた。

 「君の行く道は果てしなく遠い/だのになぜ、歯を食いしばり君は行くのか/そんなにしてまで(嫁さんももらわずに)」——。

亜Q

(2007.1.21)


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