毒舌今なお意気軒昂〜〜中山典之六段出版記念会から〜〜

中山典之六段著「完本実録囲碁講談」

「今日の蛤(ハマ)は重い」――
何という味のある言葉であろうか。
この一言をつぶやいた瞬間、
棋士梶原は詩人梶原になっていたのであろう。

味わい深い観戦記でファンをしびれさせた中山典之六段の出版 記念会が6月21日、日本棋院で開かれた。会場にはおよそ150人 のファンが詰め掛け、新刊の「完本・実録囲碁講談」「昭和囲 碁風雲録上下二巻」3冊(記念出版はもう1つ「囲碁の世界」を 含めて全4冊)が配布された。囲碁と棋士の魅力を語って40年 、170冊にも及ぶ著作を積み上げた日本囲碁界の語り部は、岩 本・ウタロー、呉・木谷、坂田・秀行、林・チクンらに劣らぬ 日本棋界の貢献者と言えるだろう。

令夫人とともに作務衣スタイルでホスト役を務めた中山六段に 代わって、会の主役になったのは傘寿を迎える重鎮・梶原武雄 九段。独特の梶原節はテレビの解説などでつとに知られていた が、その毒舌ぶりは今なお意気軒昂。「ボクはいつもノリユキ 君に代わってにお礼を申し上げる役割になる」と中山六段に一 言呈すと、返す刀で記念対局の林海峰名誉天元とマイケル・レ ドモンド九段、聞き手の小川誠子六段を痛烈に叱りまくる。人 徳だろうか、昔の兄弟子の威光だろうか、それが少しも嫌味に 聞こえない。

梶原先生が“米中戦争”と呼んだ記念対局は、黒番レドモンド が右上星と右下小目の中国流含み、白番の林は左辺の二連星で 対抗する。そして黒の第5手は左下、下辺からのケイマカカリ 。と、そこで早くも梶原先生のイエローカード。「コーイチ君 もよくそこへ打つが、これでは下辺が低位で耐えられない、左 上へカカルべし」と首をひねる。次の白6手は黒のカカリに一 間ハサミ。「低い下辺になぜ力を入れるのか」と、天下の名誉 天元の着手もお気に召さない。先生をさらに激怒させたのが次 の黒7手。左上星の白に左辺からのケイマガカリ。「黒が三三 に飛び込み白が右から押さえる左下での応接を基本として想定 すれば、左辺が低位で重複する、左上にカカルならば上辺から に決まっているところではないか」。大盤を激しく叩くから、 スティックが折れないかと心配になる。

「海峰は50年も前から教えているのに相変わらず頑固じゃ、む しろ下手になったのではないか」「マイケルの棋譜なぞ見たこ とがない、ここでつらつら眺めるに、やはりアメリカ流で石が よれておる」云々。合間にはトモコ大姉にもとばっちりが。若 かりし頃松江で対局したトモコ大姉を突然思い出したらしく、 「“ここが急所”という着点を何十手も逃し続けた」と今頃に なって叱っている。しかし梶原節を聞いていると、彼の指摘が すべて正しく思えるから、「まだまだ現役プロより強いのでは ないか」と思ってしまう。ごめんなさい、林・レドモンド・ト モコ先生!

米中戦争は白番の林が3目半余して終了、局後の検討で二人の 対局者はいずれもニコニコと叱られていた。もっともレドモン ド九段は最後に「梶原先生は私に2局教えていただきましたか ら、見たことがないというのはおかしい」と反撃。「なにぃ、 それでどっちが勝ったんじゃ?」「はい、2局とも私が勝ちま した」。梶原先生はここで絶句。

梶原理論の正当性は多くのプロ棋士も認めてきたらしい。事実 私も、「小目ーケイマガカリー二間高バサミーハザマをあけて はさんだ石にカケル」いわゆる梶原定石を曲がりなりにも理解 して、棋力が1ランク向上した記憶がある。千寿会でも、千寿 先生が話すいろいろなエピソードの中で最も登場機会が多いの も梶原九段である。言葉はいくらきつくても、納得できる珠玉 のような真理と愛情がいつもまぶされていたのだろう。「叱ら れるうちはいいけれど、笑われると辛い」。木谷道場でしごか れた思い出を語るたびに、千寿先生は少女の顔に戻る。

亜Q

(2003.6.22)



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