倚天屠龍記の碁

 神雕侠侶(神雕剣侠)の続編に倚天屠龍記がある。
 続編といっても、神雕侠侶の三年後に、冒頭で郭襄が江湖をさすらい少林寺に行き、少年張三豊と出会う。そしてふたりで少林寺を出る。そして一気に年月を飛ばし、太極拳の始祖張三豊の九十歳の誕生日を巡る話になる。張三豊は伝説上の人物で、実在は疑わしい。太極拳はかなり後にできたので、始祖説はもちろん怪しい。

 郭襄が少林寺に行ったとき、崑崙三聖なる人物が少林寺に来るというので少林寺は大騒ぎになる。郭襄がその勝負を見ようともくろみ、小室山(少林寺がある)のまわりをロバに乗ってうろついているとき、山の中で琴の音が聞こえた。その琴の音に小鳥が集まってくる。
 琴を弾じていた男は、琴をやめると、地面に十九路の碁盤を書き、ひとりで碁を打ち出した。この男が崑崙三聖だったのだ。

 碁盤ができあがると、やはり剣先で左上の隅と右下に丸を描き、ついで右上と右下の隅に×印を描いた。すでに碁盤を描いた以上、こんどは布石にかかったらしい。◯は白、×は黒のつもりであろう。続いて左上の隅から三つ目のところに◯を置き、ぞこから二つ下がったところに×を一つ。十九手まで行くと剣を地について首を垂れ、しばし黙考の体である。石を取るか隅を争うか、迷っていると見えた。
(あたしと同じように寂しいのね、誰もいない山で琴を弾き、鳥を友としている。碁を打つ相手もなく、ひとりで打っているんだわ)
 しばらく考えた後、白はそのまま左上の陣地で黒とはげしく戦いはじめた。戦局はめまぐるしく変わり、北から南へと移って、中原の地を争っている。郭襄もしだいに引き込まれ、少しずつ近づいていった。見れば白が最初に一手後れたたためか、始終風下に立たされ、九十三手に至って翅鳥(しちょう)に巻き込まれてしまった。自は依然として劣勢にあるのを、何とか支えようとしている。岡目八目というとおり、腕前の平凡な郭襄にも、白が柏手に取られないようにしている限り、中原の全滅が免れがたいのは判った。思わず声に出して、
「中原を捨てて、西の陣地を取れば?」
 男はハッとして、盤の西側に大きな空きが残っているのを見た。石を取られる隙に二つばかり布石を置いて、肝心のところを占めてしまえば、中原を捨ててもなお引き分けに持ち込む手が残る。しめたとばかり天を仰いで笑うと、
「いいぞ、いいぞ!」
 言いながら数手打って、やっと人がいるのに気づいたと見える。

「ついで右上と右下の隅に×印を描いた。」の右下は、左下の間違いか。
「翅鳥」は初めて見た。普通はカタカナで「シチョウ」と書き、元は「四丁」と説明することが多い。古くは「征」である。
 それにしても、ひとりで碁を打ち、真剣に悩むなどということができるとは。精神構造はどうなっているのだろう(^。^))。それだけでもかなりのレベルであることが判る。それに助言できる郭襄もなかなかのもの。
 これを映画化するとどうなるだろう。

 一応判るところはここまでだが、現代の布石感覚からすれば、黒2の手はないだろう。
 また中国ではタスキに石を置いてから打ち始めた。故に「右下の黒」は左下の間違いではないかと思うのである。西というのはどちらだろうか。左側から打ち始めたので右側のことかな。となると上が南、下が北。天子は南面する。南向きなので、地図も上が南でおかしくない。

謫仙(たくせん)

(2008.6.23)


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