囲碁小町嫁入り七番勝負

犬飼六岐   講談社   2011.1
 痛快な囲碁小説といえよう。
 なにしろ、碁の専門用語に間違いがない。用語ばかりでなく、その言葉の使い方も、そして碁の説明も正しい。これは当たり前のようだが、特筆したいところ。
  最後に謝辞がある。 …矢代久美子先生に懇切な御教示、多大な示唆を賜りました。
 と、プロ棋士の目を通している。しかし、あちこちにある専門用語や関連用語などの使い方を見れば、著者自身が相当に碁に詳しいことを示している。おそらく、矢代五段に見ていただいたのは、用語ではなく、碁の流れや手合いの描写などであろう。

 ほれぼれするようないい手つきだ。これだけでプロ並みの強さを感じさせる。あごが細いのが江戸人らしくないが、座っているのに背の高さを感じさせるバランスのよさがある。

 ときは幕末。御城碁も中止になり、江戸にコレラが流行って本因坊家跡目の秀策が亡くなる、そんな時代の話である。
 日本橋本町の薬種商に、囲碁小町と言われる十八歳になる娘がいた。名を「りつ」という。そのおりつを見こんだ人がいた。表御番医師を務めた老人で筧瑞伯という。今では隠居の身であった。その孫が長崎で医学を修め、江戸に帰って医師となっていた。その孫の嫁におりつを望んだのだ。もっとも孫の方はその気はない口ぶり。
 おりつにとっても相手は苦手なタイプ。筧瑞伯は碁を打った経緯から、自分の指定した人と碁の七番勝負を打って、勝ったら嫁にと申し込んできた。おりつの両親がおりつにその話をしないうちに、つまりそのような事情をおりつが知らないうちに、筧瑞伯が家に来て、おりつに七番勝負の話をすると、おりつは碁だと思って承知してしまう。こうなると断ることもできず、嫁入りを賭けて碁を打つことになった。
 これが発端で、筧瑞伯の指定する人と碁を打つ。その相手は巷の天狗もいれば専門棋士もいる。
 七番勝負の最後に予定していた秀策はコレラに罹って対局することができなかった。
 七番勝負が終わったあと、秀策の代理の村瀬秀甫と打つことになる。

 おりつは初段格、当時は素玄の区別はないのでプロ初段と同じ。三段に定先、五段に二子。秀策流が好み。
 この勝負の行方は、本を読んでいただくとして、別なところにある興味があった。
 おりつの背丈は五尺六寸(約170センチ)もある。もちろん本文中に背が高くて、人目を引くような話もあるが、それ以外は普通に生活している。兄は180センチ。弟はおりつより少し低い。父もそれなりに高い。
 当時の平均身長はどのくらいだろうか。ある資料によれば、おおむね男性155~158cmで女性143~145cmという。してみるとおりつは平均より二十五センチも高く、男と比べても十五センチも高い。当然かなり目立ち、それで有名になっていたであろうと思われるがその話はない。
 最後のオチにこの身長がからんでくるかと思ったが、関係なかった。

 おりつが碁を知った経緯とか、師の不思議な経歴。当時の囲碁界の複雑な事情。などなど碁以外にも読み応えのある話が多い。碁を知らない人むけの碁の説明もかなりある。特に碁を知らない人が読んでも問題なく読めると思う。
「いま勝ちを貪る手を打てば、つぎには負けが避けられず、いずれは碁の本道を見失う。盤前にあって、わたしは常々そうこころがけている」
 と高山道節の言葉があり、言葉の前半はわたしも身に覚えがあるところ。
 なお、言葉は現代語。擬古文ではないので読みやすい。
 おりつの弟の新之介は「ぼくは…」なんて言っている。「ほら、やっぱり、姉さんは年寄りのお医者さんをいじめて帰ってきたんだ」なんてせりふは、ほとんど平成のこども言葉。昭和でもこのような言い方は珍しいのではないか。
 それでも道節のような立場の人の言葉は、それなりに固い言葉を使っているので、違和感はない。

謫仙(たくせん)

(2011.5.30)


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