碁縁曼荼羅~Ototo先生の百寿宣言

 もう何年前になるだろう。プロ棋士の手合いの大盤解説だったか、ザル碁対局の検討会だったか、「ボクはこう打ちたいな」とOtoto先生が話に割って入られた。「それはこれこれの理由でダメでしょう」と、かささぎさんは一言のもとに却下されたが、私の見方は違う。自称高段者(国際レベルはいざ知らず)どもが突っついている碁に、千寿会に参加されてまだ日が浅くヨワヨワの級位者だったOtoto先生が堂々と自己主張される姿は、家庭内でも学校でも職場でも(もちろん千寿会でも)ウン十年間清く貧しく美しくイジイジと日陰の人生を送ってきた私には神々しくさえ見えた。

 飲み会の席で何かの拍子に大学が話題になった時もこんな調子。「そこはボクの第一志望だったんだけど、見事に落っこっちゃってね、あなたがそこに入ったとは改めて尊敬しちゃう、何せ入試が難しかったんだから」。その彼が日本の原子力工学のパイオニアの一人として40年間以上も大学で学究生活を送られ、世界に冠たる日本の原発の安全性確立に貢献されてきたことは周知の事実。でも決して鼻にかけたりせず、高額な実験装置をぶっ壊しただの、取材に来た新聞記者とケンカしただの、失敗談ばかりまくし立てる。

 と言って、自虐的でも露悪的でもない。むしろその正反対。特に女性相手の囲碁対局となると本性が顕れる。周囲が公平に見て1、2子は女性有利な手合いでも、これでもか、これでもかと強情・凶悪な手を繰り出して数多の女を泣かせ続けてきた。マルキ・ド・サド公爵の末裔かもしれない。還暦を過ぎてから急速に棋力を上げてこられたのも、周囲に格好の女性の碁敵が多かったからだろう。 そのOtoto先生はなぜか私には優しい。私のメタボ腹を見て「やっぱり運動しなきゃ、家の中でウオーキングマシンを使うのもいいかも」やら、「朝はご飯代わりに生姜紅茶一杯にする、それに休肝日をつくろう、タバコもやめなきゃね」やら、とっくにサジを投げられてもおかしくないのにあれこれ構ってくれるのだ。

 当のご本人は、碁のほかにもたくさんの趣味がある。数え上げれば、テニス、スキー、陶芸、ドライブ、海外旅行、写真、ブログ製作……。この2月末には古希を超えたベテランばかり引き連れてフランスくんだりへ何度目かの海外スキー旅行を計画されているらしい。熟年層のバラ色の人生を謳歌されるOtoto先生は、まさに暗いご時勢に光を掲げる伝道師、はたまた、いかなる困難(ではなくて、「面白そうなこと」の間違いでした)にも挑戦する現代のドン・キホーテ。

 先日の飲み会で、「どうも最近は終盤に入る頃にポキッと折れて負けてしまう」だの「目と耳が悪くなった」だの「このごろ夜中に何度もトイレへ起きてしまう」だの熟年同士で慰め合っていると、「ボクは百歳まで生きる!」と突然宣言された。聞きとがめた昭和元年生まれのチカちゃん(今なお雑誌の挿絵などでご活躍中の濱野画伯)が「そんなことは無理だよ」と水を差してもまるでひるまない。「ボクみたいに正しい健康的な生活を送っていれば、後30年なんてあっという間だよ。だから今のうちに好きなことをやるんだ」。本因坊秀哉の対局をもとに囲碁小説『名人』を著した川端康成は、50歳になるかならずで迫り来る死の予兆を『山の音』に譬えたらしいが、Ototo先生には「どこ吹く風」でしかない。

 そんなことを考えていたら、1月20日付日経夕刊に、ぐるなび会長の滝久雄氏が「日本は少子化を前向きに捕らえて“高齢化先進国”を目指すべきだと書かれていた。常に創造し続けることが脳の老化を防ぐから、芸術でも新しいビジネスでも、そして向上心をもって囲碁を打つのもいいとのご託宣。パブロ・ピカソは「明日描く絵が一番すばらしい」と言った。「明日打つ碁が一番すばらしい」ーーOtoto先生といると、そんな気がしてくるから不思議だ。

 ところで、いつまでもザル碁を脱しきれない我々にサジも投げずに長年導いてくれるチーママのご本名は確か「千寿」だった。残りの九百ン十年間、不肖の弟子をどれだけお救いいただけるのだろうか。

亜Q

(2011.1.22)


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