Davidと覗いた「第60期本因坊就位式」風景 その4

本因坊就位式に関する2回目の投稿末尾、「タブーや聖域を取り外して思い切って柳時薫元天元・王座に声をかけた」と恥ずかしげもなく大げさな表現を使った。ひょっとするとその背景をご存じない方がおられるかもしれないし、触れないのはむしろ不自然だろうから、敢えてダメを詰めさせていただく。

もう前世紀の話になる。覚さんと時薫さんが中国が主催する国際棋戦に参加した際、酒席でトラブルが起こり、結果として覚さんが1年間謹慎したことがあった。この雌伏の期間を乗り越えて、覚さんは抜群の勝率で国際棋戦を含む各棋戦を勝ち進み、今月初めには昨年惜しくも逃した名人タイトル戦挑戦権を獲たのはご承知の通り。

棋戦に復帰したばかりの2002年初め頃だったか、私は覚さんに「時薫さんと今すぐ“和解対局”しろと言われたらどうしますか」と尋ねたことがある。「もちろん、喜んで打ちます」覚さんはニッコリと即答した。覚さんの心情の奥底など私にわかるはずもないが、この時は「これは本音だ」と直感した。「さすがに当代超一流の勝負師」だと覚さんの顔を改めて見直したことを覚えている。

そのもう一人の当事者、時薫さんが目の前にいる。私はどうしても声をかけたくなった。まず自己紹介をどうするか。「日本棋院会員の○○です」と本名を名乗ってもほとんど意味がない。時薫さんが千寿会をご存知かどうかはわからないが、私は「小林千寿先生が主宰する千寿会というアマチュア勉強会の不肖の弟子、アキューと申します」と名乗らせていただいた。仕事などの事情がない限り、私は初対面の相手に押し付けがましく名刺は渡さない。時薫さんは一瞬きょとんとしたようだが、すぐに笑顔を向けてきた。

時薫さんは若手棋士への影響力が抜群と言われる。ヒョンジョン&ナカネの結婚式(4月9日付本欄参照)にも出席したらしいが、何と言っても、日本棋院のインターネットサービス「幽玄の間」で「プロ棋士ランキング戦」を女流人気ナンバー1のウカタン姫と組んで立ち上げた行動力、リーダーシップが素晴らしい。イズミ&ウックン、ハネ棋聖、そしてウカタンを追い上げるカナ女流ら64名のプロ棋士が参加して覆面リーグを展開、ネット碁大好きアマが加わって毎晩盛況のようだ。「何とか順調にスタートを切ってホッとしています」と時薫さん。中国、韓国などからの観客も増え、国際協力のアイディアもいろいろな形で検討されているようだ。

次に水を向けたのは、日本棋院発行の『碁ワールド』誌最新号で語った「韓国の碁には、日本にはない“たくましさ”がある」(構成佐野真氏)について。「あの話はタイムリーでした。日韓の碁の本質をついていて、いろいろな場で話題になっていますね」と問い掛けると、「いや、ボク自身韓国勢にはやられっぱなしなのに、偉そうなことをしゃべってしまいました」と済まなそうな顔。私もついエラソーに「いえ、碁は片方が勝てばもう片方は必ず負けるのだから勝ち負けの結果で遠慮することはない。これからも日韓の碁の発展のために忌憚ない意見を聞かせて下さい」などとフォローすると、「ありがとう。でもボク自身、このまま負け続けているつもりはありません」と答えてくれた。

念のため、話題の基になった記事を、hidew論客が主宰されるVoice of Stoneから抜粋させていただく。教材に使われたのは、「日本の碁は形ばっかりこだわっていて、全然ヨミが入っていないから負ける気がしないよ」ぐらいの爆弾発言が今にも童顔の口から飛び出しそうなイ・セドル(22)、「日本は敵ではない」と言い放った崔哲瀚(チェ・チョルハン、20)両者がこの7月優勝を争った富士通杯(上位4人を韓国勢が独占した)の決勝譜。時薫さんはハイライト部分を解説しながら、日韓国の碁について以下のような結論を導き出している。

1.自ら未知の戦いに引きずり込む。戦いで優位に立つことだけを考えて、着手を選択している。相手に楽をさせることは絶対にしない。碁がゆっくりすることを嫌い、実利よりも戦いにおける力関係を最優先に考える

2.自分の読みを信じて、とことん最強の手段を追及し、戦いやサバキにおいて妥協が少ない。「もし間違えたら・・・」などという発想自体がない。日本の碁は正面衝突を避けようとする傾向があって、どちらかが妥協する可能性が高い

3.日本の若手棋士たちが相当苦戦しているレベルの詰碁を、韓国の院生たちは平気でどんどん解いていってしまう。日本は読みきれないまま「万が一死んだら・・・」とか「気持ち悪い」とか考えて最強手段を控える傾向がある

4.古い碁から現在の碁まで、日本の碁も実によく研究している。日本の碁の考え方も充分に理解した上で、現在の「序盤から徹底して戦い抜く」というスタイルを取り入れた。基本的な碁の考え方は、日本も韓国も変わりないが、何が違うかと言えば「妥協しない精神」−−この一点に尽きる

5.日本では、いつの間にか「明るさ」ばかりが重視されるようになって、碁における基礎体力である「読み」が軽視されるようになってしまったのではないか。読みの力に裏打ちされた「たくましさ」が必要だ。碁の本質は「戦い」であり、それを乗り越える武器は「読み」以外にない(関連記事)。現状のままでは、韓国の破壊力、瞬発力に抗して日本はなかなか太刀打ちできない。でも日本にも素晴らしいお手本がある。それは張ウクンだ――。

時薫さんが『碁ワールド』8月号で語ったポイントを私なりに整理すれば以上の通りだが、ザル碁の私が敢えて語弊を恐れずに言ってみれば、時薫さん自身の碁こそ、いい意味での「日本流」にかなり染まっているように見える。7、8年前に『棋道』誌に連載していた頃からの思い込みだ。ピント外れを覚悟の上でもっと踏み込めば、覚さんの碁ともかなり共通点がありそうな気がする。「読み」という基礎体力に裏打ちされた韓国勢(あるいは中国、台湾も含めて)に対して、覚さんや依田さんらの先輩、ユーキ九段、キミオ元王座らの同輩、そして山下天元や高尾新本因坊、ハネ棋聖ら後輩とともに、あくまでもバランス感覚に満ちた美しい日本流の碁で対抗して欲しいと本気で願ったりしている。

せっかくの機会だ。この際、かねがね気になっていたことを直接聞いてみたくなった。もう三年以上も前になるが、02年春の棋聖戦七番勝負、王立誠さんへの挑戦手合いでの終局トラブルだ(関連記事)。「突然ですが、あの大舞台でのトラブルにはびっくりしました。でも結果がどうあれ、その後の両対局者の態度はさすがに一流同士の矜持が感じられて気持がよかった」と切り出すと、何のわだかまりもなさそうな風情で「いやぁ、あの時はボクが負け碁をいつまでも長引かせて相手に迷惑をかけました。あの時は所詮、タイトルなど取れなかったのです」。初対面の“どこの馬の骨”ともわからぬオヤヂに正対して答えてくれた。しかし、あの碁は本当に「時薫さんの負け碁」だったのだろうか――。

亜Q

(2005.8.14)


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