Davidと覗いた「第60期本因坊就位式」風景 その1

いきなり私事にわたって恐縮だが、この8月3日から25歳のスイス人、Davidが私の家へホームステイしている。大学で「日本の歴史」を専攻し、日本の文化、特に囲碁の魅力に取り憑かれたらしい。千寿先生がヨーロッパでの普及活動を通じて彼の日本への熱情を知り、そんな経緯で千寿会の不肖の弟子である私が彼の世話を見ることになった。

驚いたことに、彼は算砂、道策、秀策など歴代の本因坊をかなり知っており、「幽玄」の意味もわかる。井上靖の小説を読んで千利休や茶道に興味を持ち、漢字も結構読み書きできる。今読んでいるのは川端康成の『名人』(フランス語)。この書は日本人の私が読んでも難しいが、彼は面白いらしい。本文と共に秀哉引退碁の棋譜を何度も繰り返して読んでいる。『ヒカルの碁』を読んで碁を始めた彼の棋力は、平均的な日本流ランクに従えば二段ぐらいだろうか。

家族は母親と妹。アルバイトで稼いだ小遣いをかき集めての訪日。最低三ヶ月、できれば半年ぐらい滞在したいと言う。私が父親なら就職のことなど気になるところだが、欧州の若者が立てたせっかくの志だ。この際日本の碁と文化をたっぷり堪能してもらい、近い将来、日本とスイスの架け橋となってくれれば就職活動など小さい、小さい。

彼はさっそく、ホテルニューオータニで千寿先生が主宰する子供教室や、故ハンス・ピーチが始めたハッピー・マンデー教室(現在の講師は高梨聖健八段と孔令文四段)などへの参加を通じて日本文化探訪に乗り出した。そのハイライトが8月9日、東京・一ツ橋の如水会館に約300人を集めて開かれた高尾紳路新本因坊(第60期)の就位式(毎日新聞社主催、大和証券グループ協賛)。便乗して私も付いて行ったので、ピカピカの就位式風景を報告させていただこうと張り切ったのだが――。

何と、Davidと私は30分も遅れた。Davidが自転車に乗れない、ネクタイを結べない、編み上げ靴の紐がなかなか結べないといったドタバタがあったから。お陰で肝心の式を見はぐった。日本棋院の工藤紀夫理事長代行からの本因坊允許(いんきょ)状、大和証券の前哲夫副社長からノートパソコンの目録(新本因坊が記念品として希望したらしい。奥様と共にこのサイトも見てくだされ!)授与はともかくとして、「知勇兼備の兆しが見える」と愛弟子をたたえたという藤沢秀行名誉棋聖の姿を眼にできなかったのは痛恨の極み。

新本因坊は「藤沢先生には20年間、怒られっぱなしです。今回くらいはほめてもらえると思ったら、『勝ち碁で何をもたもたしているんだ』とまた怒られました。でも少し恩返しができたのでは」と笑顔で語ったというが、これも聞き逃した。

災いがあれば福もある。遅れたお陰で、白尽くめの衣装でビシッと決めて記名机の脇のソファでくつろぐシラエ先生に超接近遭遇。思わず目礼するとわざわざ立ち上がって最敬礼を返してくれたではないか。本サイトで失礼な書き込みをしたとたしなめられたばかりなのも忘れ、「やはり名門ホテルの総支配人みたいな方だ」と改めて感じ入った次第。シューコー先生の代わりにダンディーな一就八段の姿も見たし、まあ良しとしよう。

祝宴は既にたけなわ。千寿会にも訪れる慶大囲碁部出身のナッチこと新本因坊夫人はひときわ洗練の度を加え、紋付はかま姿の新本因坊はその分もっさりとした感じが強調されて見えるが、何、男はそのぐらいが好もしい。Davidは前々日の7日にテレビで見たばかりのチクリン(大竹・林の両巨頭)を目の当たりにして大感激。緑星学園を主宰される菊池誠さんやN.Oのオバチャマらアマ界の大御所、名物囲碁ライターの姿も見える。

新本因坊より先にタイトルを獲ったライバル四天王の姿は見えない。ウックンはタイトルを明け渡した当事者、ケーゴは前日の名人戦リーグ・プレーオフでシャトルに挑戦権を譲ったばかり、ハネ棋聖は名古屋住まい、もちろんシャトル本人もいない。その代わり、シャトルのライバル、リッセーや娘婿のレーブン、新本因坊のシューコー学校の先輩、最強モリタらの顔が見える。

Davidはいつも間にか、箱根ふれあい囲碁大会の名物インストラクターのお姉さま、木下さんとやたら親しげに話し合っている。二人は確か初対面のはず。彼女の夫君(同じくアマ強豪の伊瀬さん)と私は傍らでボーゼンと立ち尽くすだけ。彼女は中央大学囲碁部出身で英語もペラペラらしい。温かい人柄と合わせて、間違いなく囲碁国際普及のキーパースンの一人だ。

会場のあちらこちらでは記念撮影が始まる。何と、Davidがちゃっかり、新本因坊夫妻と千寿先生の愛娘アンナとともに千寿先生のシャッターに納まろうとしているではないか。深く疎外感に打ちのめされた私は、Davidを碁でコテンパンにやつけようと心に誓うとともに、手が空いていそうなプロを見つけて果敢にアタック作戦を開始する。

とは言え、こうした場で主賓またはそれに近い人を捕まえるのは難しい。と言うより私は相手の迷惑にはなりたくないから差し控える(一人でうなずく)。今さらセレブリティーのなさを嘆いても仕方がないが、そもそも無名のザル碁アマがどのように手短に自己紹介し、相手と対話を始めることができるか。新本因坊夫妻はもちろん、工藤理事長代行、シューコーさんや梅沢由香里さん(当日姿はなかったが)あたりはとても無理だ。と、“格好の獲物”が目の前にいるではないか。NHK杯の中継でおなじみのヨーコー四段だ。(続く)

亜Q

(2005.8.11)


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