突撃!ずっこけインタビュー その1

揮毫するチクン大棋士
揮毫するチクン大棋士

総帥・大竹英雄名誉碁聖を筆頭に、趙治勲、小林光一、石田芳夫、武宮正樹ら木谷実門下の巨星、高尾紳路・第60期本因坊や小川誠子、梅沢由香里ら女流陣も加わり、日頃なかなかお目にかかれないプロ棋士総勢70人以上。1000面には及ばなかったが、平塚の目抜き商店街をTの字形に舞台と本部・受付、さらに端から端まで数百メートルはあろうという碁盤を並べた会場全体に早朝からテントを設営された地元ボランティア方の奉仕活動にも支えられて、『第10回湘南ひらつか囲碁まつり』は大盛況だった。

開催当日の10月9日はあいにくの雨模様。予定された囲碁教室が中止されたのを知らずにひょっこり会場に現れたチクン大棋士を捕まえて、我が家にホームステイ中のDavidら若き碁敵たちがさっそくサインをねだる。私は西村慶二・七段に教えを受けた碁を大竹総帥に講評いただく光栄に浴して大満足。チクン大棋士や高尾本因坊も飛び入りで講評に当たり、書家としてもやっていけそうなイッシー24世名誉本因坊や小川女流御大はひたすら揮毫に応じている。書はそれぞれ「清心」「和心」と読める。手抜きは一切なし。そう、この日、棋士たちはフル回転のファンサービス・モードなのだ。

こんな日はイベント終了後の「懇親会」が絶好の穴場になる。天候がぐずついているから1000人とも言われた参加客の大半は早帰りするが、棋士たちには“総帥の目”が光っている。私のヨミは当然のように的中、会場はアマ2人に棋士1人以上が配置された超贅沢ムード。謙虚で控えめな本心を鉄面皮で覆い隠し、私はさっそく行き当たりばったり棋士たちに声をかける。考えてみれば、翌々日の11日には崖っぷちに立たされた覚さんの名人戦第4局が始まる。私は不肖の弟子ではあるが、心静かに祈りを捧げる立場。こんな浮かれたことでいいのだろうか――といった殊勝な気持ちは、この時すっかり忘れ呆けていた。

一番バッターはいきなり大竹総帥。千寿会メンバーの濱野彰親さんが文壇名人を獲られた頃から気が合う同士のお付き合いらしく、総帥はこちらのテーブルに入り浸り。菊村到、中野孝次といった昔の文豪たちの話題がひとしきり続いた後、総帥はDavidに目を留め、氏名・年齢・国籍は、いつからいつまで日本に滞在しているか、棋力は、棋歴は――と矢継ぎ早の質問攻めだ。ところがDavidはもう25歳、棋力はまだ二段程度と聞くと急に熱が冷めて「ま、日本の生活をせいぜい楽しんでくれ」。

そこで私の出番だ。「でも先生、Davidは川端康成の『名人』を読んだりしているのです」と助太刀すると、一転して顔面くしゃくしゃ。「あの小説の中で名人に挑戦する木谷先生は“オータケ”という名前で登場するんだよね」とDavidに説明したかと思うと、話は最近放映されたNHK囲碁講座に広がり、「あの時一番評判が良かったのは木谷先生に詰襟姿で挑戦するいがぐり頭の利発そうな少年の写真だった」と、まあよくおしゃべりになること。思わず私は調子に乗って「木谷道場で先生はいつも “そこの女の子、お茶”と千寿先生に用事を言いつけておられたようですね」と千寿先生から聞いた話を披露すると、頭をかいて「そうだったかなぁ」とおとぼけを決め込んでおられた。

二番手に登場いただいたのは、これまた超重量級、小林光一名誉棋聖・名人・碁聖。「チクン先生や大竹先生との七番勝負はしびれまくりました」と話しかけると、「いやあ、あの頃は元気でした」と枯れたご返事。「何しろ先生は、碁聖、名人に続いて棋聖も7連覇されたのだから」と畳み掛けると、「いや、8連覇です」ときっぱり。ま、まずい、私は何て運の悪い男だ。どうせなら9連覇と間違えればいいのに。あわてて「だから棋聖タイトル経験者は少ないんですよね」と取り繕ってみても、「いえ、最近は立誠クンや敬吾クン、羽根クンなど若い方がどんどん出てきていますから」と、心なしか素っ気無い。

私はこれでめげる男ではない。「そう言えば、お元気だった頃の加藤先生から小林先生との対局についてうかがったことがあります」と反撃の狼煙を上げる。「加藤先生に、“先生は対局中にオヤジギャグみたいなボヤキ言葉を話されるそうですね”とうかがったところ、加藤先生は“いや、ぼくよりコーイチ君の方がすごいんです”と告白されました」「加藤先生が困っている時、小林先生は本当に“カトマンズ”などと叫ばれて碁を決められたのですか?」と鋭く切り込む。――どのぐらいの時間だったろう、コーイチ先生は絶句され、目を細くして苦笑いするばかりで否定はなさらない。満を持して繰り出した渾身のパンチがどうやらコーイチ先生の肺腑をえぐったに違いない。

亜Q

(2005.10.11)


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