さらば、「ハッピーマンデー」(上)

大学進学を断念、「日本で棋士になりたい」と志した21歳の青年をチーママが日本に招請し、身の回りの面倒を見ながら手塩にかけて育てた。覚さん、釼持丈七段ら、先輩の棋士たちが温かく仲間に迎えてくれたのは、持って生まれた彼の人柄と努力があったからだろう。ドイツ・ブレーメン出身、1997年、28歳で入段した日本棋院棋士、ハンス・ピーチさんが初代講師を務めた「ハッピーマンデー教室」がこの3月で幕を閉じた。2003年1月、ハンスが囲碁普及活動に訪れた海外で凶弾に倒れた(享年34歳)後は高梨聖健八段と孔令文六段が後を継ぎ、合わせてほぼ10年近い間、碁を始めたばかりのたくさんの級位者を有段者に育ててきた。

私はハンス・ピーチさんをはじめ、高梨・孔両先生にはずいぶん教えていただいた。ハッピーマンデー教室の若い生徒さんらともおそらく延べ100局以上お手合わせいただいたし、何度か教室をのぞかせていただいたこともある。だから教室が終わると聞いて、私なりに感慨深いものがある。

2000年10月大手合い(227手まで、以下略)。ハンス・ピーチ三段(白)−孔令文二段(黒)、白5目勝ち。(自動再生棋譜
49 (39) 、146 (140) 、149 (141) 、152 (140) 、155 (141) 、158 (140) 、161 (141) 、164 (140) 、167 (141) 、170 (140) 、172 (156) 、173 (162) 。
以下はかささぎがまた聞きした孔先生のコメント(間違いがあればご容赦を)。
白26:好手。
黒27:やきもち。
黒31:1間のほうが14の十五のツケを狙えてよかった。
黒43:素直に生きているべき。
黒55:無謀。
黒83:単に14の七のほうがよかった。
黒127:今だと利く。
黒139:唯一のシノギ筋。
黒163:これで左上の白は取られた。
黒177:ノビのほうがよかった。

3月9日の教室の講義は、孔令文講師ご自身の「思い出の一局」の解説。2000年10月、当時二段だった孔六段が、大手合でハンス・ピーチさん(当時三段)と対局した碁を取り上げた。結果はピーチさんの白番5目勝ち。この対局に勝ってピーチさんは晴れて四段に昇段するとともに、「見習い棋士」の立場を卒業して「正棋士」になった記念の対局だった。

事情に疎い私のために、かささぎさんが次のように説明してくれた。「今はなくなったようですが、当時は『女流特別枠』と同じように『外国人特別枠』がありました。四段になるまでは言わば“仮免”で、手合料なども半額だったと思います。今をときめく梅沢女流棋聖が一足早く四段になった時、特にピーチさんに呼び掛け、『早く四段になってほしい』とエールを送られたのを覚えています——。」

講義の大盤解説を、ハッピーマンデー教室の最古参となって今や有段者として千寿会に仲間入りされたM女が活写されているので、そのまま引用させていただこう。

大盤に石を並べながら、孔先生は首をひねることしきり。
「う〜ん、黒27(孔先生)はなんでここに打ったんでしょうね〜?今なら絶対こっちに打つんですけどねぇ」。孔先生によると、黒の打ち方は相当「やきもちやき」なんだそうです。何年か前の自分の打った手の意味が理解できない・・・ということがプロ棋士にもあるんだと思って驚きました。でもその半面、「この手は1時間くらい長考したことを覚えている」と、今でもその時の気持ちを思い出せる手もあるようでした。

当時、孔先生とピーチ先生は研究会などでもたくさん打っていたそうですが、勝率は孔先生のほうがずっと高かったのだそうです。でもこの碁の内容は、白の棋力が上であることがはっきりわかるものだそうです。それでもこの対局は、白優勢裏に進む中で黒の起死回生の一手が出て形勢逆転か!?とドキドキの展開。だからこそ「思い出の一局」なのだろうと思います。

棋譜を通して孔先生はピーチ先生のお人柄に触れて、思い出話にも花が咲きました。私は入会が遅かったので、あいにくピーチ先生とはお会いしていません。もう1ヶ月早く教室に行っていれば先生にお会いすることができたのにと
残念でなりません・・・。(以上、引用終わり)

M女より少し遅れて入会してM女と共に短期間に上達したこもりんも、「面白い講義でした。プロ棋士でも数年でがらりと変わってしまうもんなんですね。碁の内容も(解説があってようやくわかったのですが)とても面白いものでした。僕もピーチ先生にお会いしたことがなくハッピーマンデーに入ったのですが、この碁の内容は先生の人柄を感じさせてくれる思いがしました」と添えてくれた。

この手合いの後、日本トップクラスの囲碁サロンと言われる東京・国分寺の「ホワイエ」でハンス・ピーチさんの昇段祝いが開かれた。チーママのお弟子さんでもある日本テレビアナウンサーの鷹西美佳さんが私の横でピーチさんの指導碁を受けて褒められていたり、お祝いに駆けつけられた日本アマトップクラスの強豪、原田実さんがピーチさんに挑戦された記念碁で「2線を6本這う難解定石」を繰り出してピーチさんを悩ませていたりした。ハンス・ピーチさんはこの時から、日本と世界の囲碁界に大きな足跡を残し始めたはずだった……。

かささぎさんのお手を煩わせて、ピーチ三段と孔二段(当時)大手合い対局の棋譜を載せていただきます。ご参考までにどうぞご高覧下さい。

亜Q

(2008.3.29)


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