参加客が大幅に増えた「第4回ふれあい囲碁大会」

講義する笠井六段
講義する笠井六段

 覚九段が先輩の笠井プロと共に手塩にかけて育てた「ふれあい囲碁大会」が12月5〜7日の3日間、恒例の富士箱根ランドで開かれました。21世紀元年(2001年)に始まった同大会は今回が4回目。参加者は第1回から20、40、60人と増え続け、今回は90人を突破。2004年5月28〜30日に開催予定の次回には100人を大幅に超えることはほぼ間違いありません(大会の趣旨や運営については、本サイト雑記帳をご覧ください)。

 囲碁を愛する100人近いファンに応対したのは覚、笠井両プロと、覚さんの愛娘清芽(さやか)さんの良き伴侶となった中国出身の若手実力者・孔令文プロ、伊瀬・木下の夫婦インストラクター、そして年内に故国のチェコに帰る若き院生オンドラ君(12月11日8時ごろ日本テレビの「ズームイン朝」に登場予定)。何回挑戦しても無料の指導碁に気持ちを込めてお相手していただきました。2泊3日の日程で、お一人おそらく50局以上打たれたのではないでしょうか(若い令文さんは100局!)。

 嬉しかったのは、「千寿会サイトを見て参加した」と言う岩田さん(愛知県一宮市)。大学囲碁部で修行されたと言うだけに五段クラスで見事8戦全勝のぶっちぎり優勝(私も対戦しましたが、とても勝てません)。初参加組では、知る人ぞ知る“インターネット囲碁掲示板の元祖”森泰樹さん。囲碁とインターネットの相性にいち早く着目、囲碁掲示板や初心者向けのテキスト、碁盤掲示板などのソフトをどしどし公開されて囲碁普及に努めた立役者。覚さんの“ネット師匠”でもあり、同時に私の高校の後輩でもありました。彼は今、「画像に付加価値をつける仕事」をする会社View Plusの技術マネージャーをされていますが、今後「囲碁キッズ」や「いちご棋院」の仲間たち(千寿会にも何度か顔を出されたナゾさんこと武田さんらが奉仕しています)と共に、碁界発展のキーパースンの一人として活躍されるでしょう。

 そしてもう一組、小寺保さんと愛孫の智子ちゃん(小学校4年生)。滋賀県の大津にお住まいのおじいさんの保さんはおそらく誰でも好感を持ちそうな年配者、碁は級位者(ご趣味は東海道五十三次の踏破、ホームページで紹介されています)、東京在住の智子さんは二段(令文プロの生徒)、それぞれのクラスで準優勝を果たしました。智子ちゃんは可愛い目を光らせて「将来はプロになりたい」と語ってくれました。こういう風景は傍から見ていても嬉しいものですね(智子ちゃんとおじいさん頑張れ、拍手乱打!)。

 千寿会からは、前回五段クラスで優勝されたかささぎさん、最近進境著しいたくせんさん(自戦記)、そして私(亜Q)が参加しました。それぞれ健闘したものの、優勝、準優勝には今一歩届きませんでした。


指導碁を行う覚九段
指導碁を行う覚九段

 何よりも嬉しかったのは、故ハンス・ピーチが心を尽くして立ち上げた「ハッピーマンデー(日本棋院主催による級位者講座)」の愛弟子たちの登場。リーダー格のM師匠が急用で来られなかったのは誠に残念ですが(特に私は彼とライバルのレーブンプロとの丁々発止をぜひ目の当たりにしたかった)、一番弟子のカオル姫、二番弟子のマヤ女、かわいらしいミタニとネコちゃんの美女軍団が代参、大会の彩を添えると共に平均年齢も大幅に下げてくれました。カオルは二段クラスで優勝された佐野さんに先で挑戦、惜しくも1目の差で負けましたが(このあたりが品の良い彼女らしい)、互角以上の戦いぶりはM師匠もきっと喜んでくれるでしょう。マヤ女は「必殺のオキ」「玄妙マヤのつぶやき」に次ぐ第三の秘技「マヤのウナズキ」を披露、人非人のかささぎさんを見事7子で撃破。独特の“くの一忍法”を操って今後も高段の男どもをいぢめ続けることでしょう。ネコちゃんはおじさんたちからモテモテのアイドル。「ボクと打って」と誘いが引きも切らず。先日開かれたペア碁大会でベストドレッサー賞を勝ち取った実力をたっぷり見せてくれました。さらに女を上げたのはミタニ。大会の親睦宴会で100人ものライバルに打ち勝って、いの一番で「ビンゴ」、宿泊券などの賞品には目もくれずワインをもらって即みんなに振舞う。日頃の師匠の厳しい教えに背かぬ健気な行動がみんなの共感を集めたのでした。

 戦いが終わった7日昼、覚さんが挨拶に立ちました。「実はここへ来る前日、名人戦リーグ第1戦で林海峰九段に負けました。ここへ来るのが辛かった。でもこの大会はボクにとって大切な行事。皆さんと触れ合って敗戦の疲れはすっかり癒されました。そして本日(7日)は(弟分の)高梨聖健八段の愛妹聖子さんと山下敬吾棋聖(天元位も取りそう)との結婚式。ボクも呼ばれていますが、それより大切なのはこの大会。だから娘夫婦のレーブン・サヤカに代わって行ってもらいます」−−。そして彼は参加客の乗り込んだバスを最後まで見送ったのでした。

亜Q

(2003.12.9)


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