覚さん自ら語った名人戦第7局の機微〜第8回ふれあい囲碁大会 から(その2)

名人戦第7局
名人戦第7局、106手目まで。

第8回ふれあい大会のハイライトは、9月から3ヶ月にわたってウックン名人と死闘を演じた覚さんが、今月9、10の両日行われた名人戦最終第7局の機微を自ら語った大盤解説会。クラハシ、ヨーヘー、ヨーコー、セトダイキらを聞き手として、自ら「敗着」とした黒103手までを並べてポイントごとに対局心理の襞(ひだ)を率直に吐露してくれた。

「すばらしいドラマを演じたふたりに、拍手を送るのみ」とベテラン観戦記者の春秋子さんが称えた第30期名人戦有終の美を飾った第7局の観戦記は、12月2日から朝日新聞に詳報が掲載される。一足先に覚さんの感想を、ほんの上澄みばかりではあるけれど本サイトで記させていただく。

改めて握りなおして、覚さんの黒番。二連星の対抗でスタート、左上で黒5と内側からケイマにかかり、白6とケイマに受ける。ここで覚さんが会場に問う。「この布石に見覚えはありませんか?」すぐに会場から声あり。「10年前の棋聖戦!」——強い人はさすがに勉強されている。家に帰って昔の『棋道』誌をひもとくと確かにあった。

チクン大棋士と3年連続で対決した棋聖戦七番勝負の2年目(1996年)、チクン大棋士が前年に失ったタイトルをすぐに奪い返した第7局(黒5までは、実は同じ3局目にも現れたが、チクンさんは1間バサミで応じた)。覚さんは黒7ですぐに白6のカタ(7の四)をつき、続いて黒27まで1本取り、さらに黒43の時点でチクンさんに「まいった」と言わしめた優勢を築き上げた経緯がある。あれから10年を経て、覚さんはもう一度「内ガカリ」を試したかったのだろうか(ご参考までに、以前に書いた雑記帳に目をお通しください)。

ところが10年後の実戦は、黒7と左辺に大々ゲイマに開き、白8のケイマ詰めを誘って足早に黒9と右辺を三連星に構える。白10は右下星の黒へ外側からケイマガカリ。「この白10までは依田碁聖との早碁で経験していた」と覚さん。「ウックンもこう打つだろう」と予測していたらしい。「左辺黒7と白8の交換が、右辺黒の模様化に少しは役立つのではないか」と手応えを感じていたようだ。

下辺黒13は1路上にハネずにじっと引いて白のサバキを牽制。「このあたり白の着手はとても早かった」ようで、白20ノゾキ、黒21ツギを交換した後、白22と右下に滑った。黒はヒラキとカカリを兼ねた黒23を打てて満足。局後、ウックンは「白22が甘かった。20ノゾキを悪手にしてしまった」と後悔していたそうだ。白は下辺の黒を低位にすべく、白24ツケから動いて白30と左下を押さえる。

左辺白8にコスミツケた黒31、続く33ハネは「このあたり多少打ちやすいかと思って大事を取った」。ところがこの意識が災いを招く。右上を数手交換して形をつくった後、黒39のトビに白が隅を守った白40に黒41とナラビノゾキで間に合わせたのが問題だった。後に見られる通り、これでは備えになっていなかったらしい。「この左辺上方には魔物が棲んでいました」(覚さん)。

その後の右上の折衝は黒の意が通ったようだ。黒49と切って右辺の模様が大きくなりそうな黒に白は少々無理気味に動いて白54の二段バネ。黒は55、57と力をためて白を大きく包み込み、上辺白60の受けを待って黒61。白はノゾキにツゲない。62とかわさざるを得なかったのだから、「当然黒61の上に切るつもりだった。第7局までできて開き直っているはずなのに、なぜか左辺を囲う63と打ってしまった」(覚さん)。ここが第2の後悔。

引き続いて中央の白一団をめぐる小競り合いでは、黒65に多少の後悔があった。「1路右の11の八に打つ方が厳しかった」そうだ。その後、白70のコスミに黒は「気合で」右下隅を71と押さえる。白72、74と右辺を破らせて、その代償にまだ目がない中央と下辺の白一団との絡み攻めを決行した。意地の覚の面目躍如たるところだ。

そして黒85のツケに白は86と備えて上と下の白がほぼ収まり形についたように(ザル碁の私には)見えた打ち掛けの場面——。「このあたりではちょっと良くないかなと思っていたけれど、後で立会人や解説陣に聞くとそうでもないらしい。僕の形成判断が誤っていたかもしれません」と覚さん。一方、名人はこの局面で「白が悪くない」と感じていたらしいが、翌日開封された黒87に思い至って、「ここに来られたら困る」と気付いたようだ。その通り、封じ手は覚さんが「ちょっと自慢したくなる」と言う黒87ツケ。その後の折衝で黒は右辺97などと堅実なコースを選び、黒101まで破られた右辺が修復し、再び一気通貫の地になった。

そして覚さんが「敗着」と断言した黒103の場面。「ここでは気分良くいろいろな筋が見えた」。しかし覚さんは、「無駄のない利かしになると思って、ファーっと黒103を打ってしまった」。そしてすぐに白104から106の割り込みを見て愕然とする。「ここで勝負は決まりました」と覚さん。その後はご存知の通り。終盤には白勝ちを決めた妙着126が飛び出し、左辺の黒はほぼ壊滅状態に陥る――。

閉会の挨拶で
閉会の挨拶で。

覚さんが自戦を語る大盤解説はこれで終わらなかった。ウックン名人と当日打ったばかりの“第8局” NEC杯準々決勝、まさにホヤホヤの速報だ。名古屋の会場で聞き手役を務めた梅沢由香里さんはご自身のブログ「徒然日記」でこんな風に記されている。

「覚先生がすばらしい内容で勝利でした☆両者の持ち味満点でしたが、こういう勝ち方、かっこよすぎます。私もこんな碁が打ちたい‥」「それぞれ理想とする碁ってあると思います。私は覚先生や秀行先生の碁が好き。もちろん足元にも及ばないのはわかっているけれど、少しでもそんな理想とする碁に近い内容で、さらに結果が出た時はすごく嬉しいのです♪マニア的楽しみですけどね(^_-)」と、彼女の人柄がにじみ出るような文章で想いを語っている。

覚さんの話に戻ろう。「チョーウ君は穏やかな好青年ですが、にらまれるととても怖いんです。おそらく皆さんがプロ棋士と指導碁を打たれる時はそれ以上に怖いのかもしれませんね。お気持ちはよくわかります」——これが枕詞。「何しろチョーウ君は手が見える、攻めの迫力がすごい、若くて素晴らしい碁打ちです」。「ですから、“大きい碁”にしたかった。局面を小さく限定すると、深くて正確な彼のヨミにとても太刀打ちできません」。

さて、“大きい碁”とは何だろう。ボクシングに喩えれば防御を固めて小差の判定で逃げ切るのではなく、一発ノックアウト狙い。野球ならバントやヒットエンドランなどを駆使して1点を取り、きめ細かい投手リレーで最小点を守りきる昔風の“三原野球” ではなく、一対一の個人戦の繰り返しで相手を壊滅する大リーグ野球か。でも、どうも少し違うような気がする。

強いウックンやハネ、ケーゴ、タカオでも、あるいはイチャンホをはじめとする中国・韓国の打ち盛りでさえ到達し切れない「碁の広さ」、美学とか感性とか、そんな言葉では言い尽くせない“何か大いなるもの”で勝負しようとしたのではないだろうか。ザル碁の私でも、こんな表現にはぞっこん参るのだ。

折良く、12月1日付の日経新聞『私の履歴書』コラムで能楽師の片山九郎右衛門さんが、世阿弥の『風姿花伝』に記された「まことの花」の中で「咲く道理も散る道理も、心のままなるべし」という言葉を紹介していた。「あまりにも深遠で“かなわぬ夢”とひるむことはあるが、それは一瞬。この花のとりことなった者は、あきらめることなどできはしない」と。

覚さんが目指す頂上はまだまだずっと先にあるのだろう。でも世界中の棋士の誰よりもそれに近いのではないか。勝負師に勝ったり負けたりは常だが、倦まずひるまず、挑戦を続けて欲しい。高齢化社会が進むにつれて50代、60代でタイトルを手にすることはこれからも増えていくだろうし、70代でタイトル戦に挑戦した天才ウタローの前例もある。私が敬愛するすべての棋士の中でも覚さんに託す夢は最も大きい。

そうそう、言い忘れてはなりません。覚さんに禁煙の勧めです。私自身、ン十年間愛煙家生活を送ってまいりましたが、1年前に気道切迫(つまり存分な呼吸ができない、窒息しそうな感覚)に打ちのめされてスッパリとタバコを断ち切りました。禁煙を強いられる対局にタバコがいい道理はありません。どうしても煙が恋しければ、(私のように)薬局でしか売っていない「ネオシーダー」(火をつけて吸う一見タバコ風だが、実はのどや喘息の薬)に切り替える手もあります。この際、スパッとタバコをやめて勝負のオニ、いや、“棋理を求め続ける求道者”となってください。「命短し、求めよ覚」。

亜Q

(2005.12.2)


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