囲碁史探偵・福井正明九段、名観戦記者・秋山春秋子さんがコンビで来訪

福井正明九段

大暑が列島に居座る7月24日、碁界の歴史に通暁された“囲碁史探偵”こと福井正明九段と、当代随一の名観戦記者の秋山春秋子さんが千寿会ゲストとして登場された。福井九段は昭和19年生まれ、岩本薫(第3世本因坊薫和)門下。3歳年下の進九段と兄弟棋士だ。木谷門下でありながら岩本仙人に誰よりもかわいがられた小林覚九段の兄弟子格でもある。

この2月に亡くなられた中山典之追贈七段とは年齢が一回り違ったが昭和37年の同期入段。中山典之さんはこの福井九段を故安倍吉輝九段、高木祥一九段らとともに、自分より年少ではあっても才能に溢れた星のような存在と仰ぎ見ていたようだ(参考)。事実、福井九段は昭和55年、第5期棋聖戦七段戦優勝、第24期首相杯戦優勝、さらに棋道賞殊勲賞を受賞するなど、猛スピードで昇段された。

ところが棋士としての実績は、坂田、高川、秀行らの先輩とその後に輩出した“G7”(大竹、林、加藤、石田、武宮、小林光一、チクン大棋士、敬称略)らに挟まれて影に隠れてしまう。春秋子はこの背景として、「本当は勝者や強者が栄誉を独り占めすべきかも知れない。しかし、福井さんにはそれができず、敗者のほうに目を向けてしまう」と福井九段の著作に見られる姿勢に触れる。「そんなやさしさが勝負師として今一歩大成を阻んだのかもしれない」と、春秋子が愛情込めて棋士・福井正明を解き明かしているように私には思える。

千寿会で福井九段は、いつもの打ち碁解説ではなく江戸期の碁を話された。御城碁、家元四家、当時の布石と流行定石、さらに道策、秀策、丈和を歴代三強に挙げ、太田雄蔵、小川道的、幻庵因碩らにも触れた。直木賞候補にも上った『天地明察』の主人公、渋川春海(第2世安井算哲)は「碁打ちでもあったノーベル賞受賞者」。道策相手に敢行した「初手天元の譜」が有名になってしまったのは「もっといい碁を残している春海にとっては不本意だったろう」と同情し、「初手天元を活かすのは難しいが、三、四線であればどこの着点でも似たようなもので、もしコミを1目余分にもらえるなら、相手の言いなりに初手を置くプロ棋士が多いのではないか」との指摘に私はとても傾聴させられた。序盤に豆をばら撒くように石を置いて行き、それらの配石をすべて関連付ける構想力をうたわれた恩師薫和の愛弟子にふさわしい説明だと思う。

語り口はいかにも江戸っ子らしく建前抜きのざっくばらん。いつも“酔いどれ”を自認されていた故菅野七段(昌志六段の父君)と一脈通じるいなせなタイプ。こんなところが昭和の大棋士、故藤沢秀行名誉棋聖に愛されたようで、福井九段はいつもシューコー師の師範代を務めておられた(例えば名著『囲碁梁山泊』など)。しかし福井九段にとってシューコー師は「背中に目がある」怖い存在でもあったらしく(シューコー師の遊び仲間でもあった福井九段から見ると、実は師の妻女、モトさんの方がもっと怖かったそうだが、それはさておき)、いつも“強烈な努力”を強いられたという(千寿会でも同書を揮毫された師の扇子を持っておられた)。よきライバルだった故上村邦夫九段とはよく一緒に酒を飲む仲だったが、「遊んでいても寝ていても僕は24時間勉強している」というライバルの言葉は今も耳について離れないと言う。これこそ、福井九段が言う“碁打ち魂”というものかもしれない。

秋山春秋子氏(写真が下手ですいません。かささぎ)

福井九段とともに千寿会に来られた秋山春秋子さんは知る人ぞ知る名文家。新聞記者あまたある中で観戦記者は例外なく名文家だが、春秋子さんはその最高峰ではないか。それだけではない。上述した福井評にみられるように、碁と棋士に対する視線が実に温かい。だからこの人の観戦記は技術評に偏らず、いつも棋士の人間味がにじみ出てくる。

もう一つ付け加えたいのは、源氏・枕の時代から小説や詩歌に詠われた古今の囲碁文化への薫陶。この点で若い人にはなかなか追いつけない存在ではないか。『週刊碁』に長期間連載された「碁のうた 碁のこころ」(たくせんさんの名評論にお目通しください)は春秋子渾身の労作。中山典之氏の囲碁界最大のベストセラー『囲碁講談』などとともに大切に保存しておきたいと思う。

飲み会の席上、私は春秋子さんにナゾをかけた。「私が生まれ変わったら、どんな職業に就きたいと思っているかお分かりですか?」と。春秋子さんは私の顔をまじまじと見つめて困っておられる。「地球上で最もうらやましい職業、つまり観戦記者です」とお答えすると、春秋子さんは「そんなことを言う人に初めて会いました」と言って破顔一笑された。

亜Q

(2010.7.26)


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