この指とまれ

 日本棋院長野県本部が主催する「サマー囲碁カーニバル」はいまや北信濃の夏の風物詩。第24回目を迎えた今年は7月14〜20日にかけて、海抜1500メートルの志賀高原志賀ハイランドホテルで開かれた。同カーニバルは私にとっても恒例行事。台風模様のさなか、新潟県中越沖地震にも見舞われた(実は3年前の大地震の際にも、チーママ、健二先生はじめ千寿会の面々と越後湯沢のホテルで碁を打っていたから、私の碁は地震を呼ぶのだろうか?被害に遭われた方には誠に申し訳ございません)が、前半の3泊4日をたっぷりと楽しんできた。

 出場棋士は例年通り、中部総本部のベテラン・吉岡薫七段とその門下、および親戚づきあいの棋士たち。中根直行八段とおしどり夫婦の金賢貞(キム・ヒョンジョン)三段、井口豊秀・下島陽平七段、加藤祐輝五段、昇段したばかりの井澤秋乃四段、今年に入って9勝3敗の高勝率を挙げている柳沢理志二段、『週刊碁』主催の新初段シリーズで片岡聡元天元を破った大澤健朗初段の9名。

 ランク別カップ争奪戦、プロ指導碁、講座などおなじみのメニューの中で、今回特に印象に残ったのは、無差別級優勝者のY氏が井口7段に2子で挑戦したプロアマ戦。左上白模様に打ち込んだ黒を白が挟み、数手の折衝を経て黒が中央に伸び、白が頭をたたき、黒がハネ返した局面。地合いで先行された白は右方黒の大石との絡み攻めを狙い、黒は速やかに単独のくつろぎを得たい。この白の手番で「次の1手」が出題された。

 ここで他へ転じる手がありえないのはザル碁の私にもわかる。解説者の中根八段は少考の末、①ハザマにノゾキを大本命とし、②下ハネ③直切り④上に二段バネを対抗馬とした。私はヒントをもらうまでもなくノータイムで③直切りを選んで解答用紙を提出後、後ろで見ていたプロ棋士に聞いて回った。すると何と、吉岡七段は④上に二段バネ、下島七段は③直切り、大澤初段は②下ハネと、見事に分かれた!だからこれは、まさに絶妙な「次の1手」だった。

 そして対局者の井口七段が選択したのは③直切り。大本命①ノゾキに投票された圧倒的多数の方々の怨嗟の声を聞きながら、私を含む5人ほどが賞品のチョコレートをゲットした。しかしその後数手が進むとどうやら③直切りは打ち過ぎで、やはりハザマノゾキか上二段バネが正解だったらしい。とは言え、これは中根解説者の言い分のみを聞いているからで、下島七段や大澤初段が解説すれば違った印象を受けるかもしれない。いずれにしても、比較的限られた局面でプロの着手が4通りにも分かれることは珍しい。碁の神様から見れば答は歴然としているのかもしれないが、それぞれの棋士から「自分こそ正しい」と訴えられれば、私レベルのザル碁はどの先生の「この指とまれ」を選択するか大いに迷う(何だか選挙みたいだ)。

 カーニバルはこうしてつつがなく進行したが、ふと気がつくと、日本棋院常務理事を務める信田成仁六段がスーツに赤いリボンをつけて見学されているではないか。主催者に聞くと初めてのケース。早速近づいてご挨拶すると、日本棋院から派遣された形の“視察”ではなく、「個人的な勉強」のために訪問されたそうだ。日本棋院はこれまで多数の囲碁セミナーを実施してきたが、来場者数や収益の点で必ずしも十分な成果を挙げたとは言えない。「24回も続いたカーニバルの運営ぶりを参考にして日本棋院改革の一助にしたい」とのことだった。

 囲碁のイベントと言えば、今回のカーニバルをはじめ、日本棋院のセミナーや覚さんや笠井七段(日本棋院監事)らによる箱根ふれあい大会など、私もずいぶんお邪魔している。それぞれメニューは似ていても、参加料金とサービスの内容、指導碁のやり方、アマとの交流など微妙に違いがありそうだ。いずれにせよ、プロとアマとの垣根をなくし、リピーター率を高めることが肝要だが、その具体策となると難しい。

 もちろん私にも、他の客の方々と同様にいろいろな注文がある。中には相反する要求もあるだろう。あくまでもファン本位とは言え、移り変わるファンのニーズの最大公約数を探り、きめ細かく追従するのは無理がある。ならば信念を持って自分たちの運営の特色を鮮明に打ち出し、「この指とまれ」と呼び掛けることが、当たり前だけれど固定客をつかむ確かな方法なのかもしれない。

 余談になるが、ホテルからの帰途、長野駅まで送ってくれたのは志賀ハイランドホテル営業スタッフの春原良崇(すのはら・よしたか)さん。聞けば、父親が同ホテルの経営者で志賀高原観光協会の代表者。一人息子の彼はそれまでの東京の勤務先をこの春に辞し、この6月に同ホテル社員になったばかりの25歳。ご多聞に漏れず志賀高原も観光客が減少し、長野オリンピックの頃に見せた賑わいは影を潜めホテル数も50を割り込んだ。大手不動産やファンド会社が再生に乗り出す動きもあるようだが、地元の老舗業者はどうなるか。若い彼は運転しながらそんな話を助手席の私に打ち明けてくれた。

 この9月には将来彼のお嫁さんになる女性が志賀に居を移すと言う。独りでは耐えられない苦労も若い二人なら乗り越えられる。今は何ごとも経験。どんな苦労も糧にして、同ホテルでなければ得られない独自のサービスや運営法を確立して欲しい。そしていつの日か、全国の顧客に向かって「この宿泊まれ」と呼び掛ける彼を、私は首を長くして待っている。

亜Q

(2007.7.22)


もどる