勝ち将棋、鬼の如し

 「勝ち将棋、鬼の如し」とよく言われるが、碁も全く同じ。第63期本因坊タイトル戦七番勝負が証明してくれた。高尾秀紳本因坊が連勝した3局目までは羽根直樹挑戦者に格違いの強さを見せ、4局目からは逆に挑戦者の充実ばかりが目立った。何をきっかけに、両者の立場が入れ替わってしまったのだろう。勝負事とは本当に摩訶不思議なものだ。

 実はこれまで、羽根元棋聖の強さがどこにあるのかわからなかった。それが第4局を境に身体のどこかに隠されていた猛獣の血がほとばしり始めたらしく、手どころで果敢に相手の咽喉笛に食らいつく姿はまさに鬼気迫る感じ。「へぇ〜、羽根さんの碁はこうだったのか」と驚き続けるばかりだった。

 そう言えば最近は、布石からいくつかの定石が完成され、穏やかに中盤戦に入っていく碁をあまり見なくなった。韓国や中国の影響、そしてコミ6目半への移行なども絡んで碁が変わってきたのかなと思う。馬齢を重ねた私のような緩い棋風のザル碁アマにとっては厳しい時代になった。

 そんな折、ジャズピアニストの山下洋輔さんが7月24日付日経夕刊コラムで「私の出会ったジャズの巨人」第4回目に、詩人であると同時に、孤高とも言われるフリージャズを築き上げたセシル・テーラー(ジャズミュージシャンは彼を「CT」と呼んだらしい)を取り上げ、2台のピアノを使った彼とのリハーサル競演をこんな風に記していた。

 彼はアルファベットで書かれた独特の楽譜を使っている。(山下が)競演者として「自分もそれを勉強しようか」と問いかけると、「必要ない。お前は自分の音楽をやれ」と言う。何の制約もない。と同時に、出し合う音を間違えれば命がないとも思えた。刀を交えるとはこういうことなのか。何度も全力で打ち込んだが、柔らかく跳ね返される。あるいは思わぬところから鋭い一撃が飛んでくる——。

 山下さんは愛棋家としても知られる(CTとの絡みを本サイト雑記帳「そうだ、マイルスを聴こう」に紹介しています。ご参考までに)。そのせいか、文章の端々に碁を連想させる記述が顔を出すようだ。

 本因坊戦七番勝負はジャズの巨匠同士の競演のような真剣つばぜり合いを堪能させてくれた。両者の戦いはこれからも続き、進化していくだろう。新本因坊は父親泰正九段・元王座の「正」の字と自分の名前から「直」の字を組み合わせて「本因坊正直」と号したらいかがと、中部総本部の先輩山城宏九段が提案したらしい。号を持てばひと回り人間が大きくなる。新本因坊に一層の飛躍を期待したい。一方、十段1冠となった高尾前本因坊もこの七番勝負で何かをつかんだはず。捲土重来を期して已まない。

亜Q

(2008.7.27)


もどる