女流将棋棋士会独立の動きに思う

 将棋の女流棋士会(藤森奈津子会長、会員53人)が、日本将棋連盟からの独立を前提に「女流将棋協会(仮称)の法人格取得のための設立準備委員会」を設置した。準備委員長に就任した中井広恵六段は、「女流棋士が発足して33年、スネをかじっていたばかりの私たちがやっと親離れして独り立ちできる。それだけの力がついてきたと思う」と想いを語った(以下は、朝日新聞夕刊などからつまみ食い)。

 しかし実際は、連盟内での低い地位・収入に長年甘んじてきた不満が積もり積もっての行動らしい。「スポンサーに女流棋戦を継続してもらえるのか」「後戻りできなくなりはしないか」「時期尚早では」といった慎重論には目をつぶって独立路線へ舵を切ったようだ。

 将棋連盟の正会員は、プロ棋士養成機関の「奨励会」を経て四段になった棋士だけが対象。この奨励会で女流の最高位は初段止まりで、正会員はこれまで1人も誕生していない。このため、女流棋士は連盟の運営には一切タッチできない、棋士総会には出席できない、男性棋士や職員が加入している厚生年金にも入れないという“ないない尽くし”。当然、経済的にも厳しい。基本給がないから女流トップクラスでも棋戦からの年収は100万円程度で、将棋だけで生計を立てているのは10人にも満たないとも言われる。

 『読売ウイークリー』誌(12月24日号)は「(女流棋戦の)タイトルを獲っても、序列は後輩の男性新四段の下に置かれる」(矢内理絵子女流名人)、「公式戦で男性と戦っても女流の記録には残らず、女流はアマチュアと同じ扱い」(石橋幸緒女流四段)、「女流タイトルを獲得しても賞金は数十万円、イベントの時はコンパニオン代わりに使われることもあった」(林葉直子元女流タイトル者)といった女流棋士の声を伝える一方で、アマの瀬川晶司さんに対してプロ試験の特例を作ったことも女流の不満を高め、独立に拍車を掛けたとの見方を紹介している。

 「ザル碁・ヘボ将棋」の私にはもちろんこの問題を論評することなどできない。しかし『アエラ』12月18日号が面白い切り口の記事をまとめていた。タイトルは「独立示す男女の “脳”力」。「単なる将棋の世界の内輪話にとどまらない。そこにはジェンダーフリーの立場からは看過できないはずの大問題が…」と思わせぶりなサブタイトルをつけて男女差別問題を煽っているようにも(フェミニストの私には)見える。

 同誌は準備委員会設立への経緯をかいつまんで説明した後、33年間の女流棋士の男性棋士に対する通算成績が59勝248敗と大きく負け越している事実を挙げ、女流が真の意味でプロ棋士になるにはまだ高い壁があり、連盟にとって女流棋士は「準棋士」と位置付けられていると紹介した後、「ここまでは将棋界の内輪話だが、実は将棋界にとどまらない問題を抱えている」と指摘している。

 「女性の正会員が続々と誕生して連盟の運営に参加するのが理想だが、現状では、男性と同等のプロになるのは困難だと女性自ら白旗を揚げたことになる」、そしてこのことは、「スポーツの世界では男女に体力差があることを前提にどんな競技でも“男女別”で行われているのと同様に、“脳の力”にも男女差があるということにつながりかねない」と踏み込み、「これは“男女平等”の立場からは、由々しき事態ではないか」と盛り上げているのだ。

 そこで“識者の意見”を持ち出すのが記者の常套手段。まずは横浜国立大学で女性学を教える金井淑子教授。「女性で将棋はないだろうという社会的通念が、女性の実力者をスポイルしてしまっているのではないか。でも一人も正会員になれないのはかなりの差。現在のフェミニズムはジェンダーフリーの概念で硬直している感もあるが、仮に社会的通念がなくなったとしても、男女に向き・不向きというのはあるのかもしれない」。

 さらに、「男女の脳には差がある」とずばり説く脳科学者も紹介する。「胎児期に羊水の男性ホルモン濃度が高いほど空間認識能力に優れる。生まれた段階で男脳、女脳の潜在能力はある程度固まっている」(人間総合科学大学の新井康允教授)、「右脳と左脳をつなぐ脳梁(のうりょう)という組織は女性のほうが太いため左右の脳を連動させて活発に動くが、何時間も考え続ける将棋などの場合は連動が活発なだけに様々な考えや雑念が入り込み、集中力に差が出るかもしれない」(諏訪東京理科大学の篠原菊紀教授)。

 囲碁と将棋では、女流棋士の実績や処遇などの面でかなり事情が異なる。女性を心底尊敬している私は、以前に「(スポーツを除く)ある分野で男女格差があるとすれば、それは経験や機会の差に過ぎず、囲碁界では日本、中国、韓国などの東アジアに限らず、これまで囲碁とはあまり縁がなかったロシアを含む欧米、インド、イスラエルあたりからも近い将来天才棋士が登場するし、同じ理屈で将来は女流の三冠奪取もあり得る」といったような意味の雑文を書き散らした(「囲碁に“性差”はありや」「囲碁に性差はありや?(続編)」)。勇気あるアエラ記者は記事の最後に、「この脳力差は将棋においては男の脳の方が向いているというだけであり、男女の脳に優劣があるわけではない」と書き添えているのだが——。

亜Q

(2006.12.19)


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