ファンクラブ考〜その1

「ファンから元気をいただく」――。ただいま名人挑戦中の覚さんの名語録の一つ。名人戦七番勝負挑戦権を賭けた敬吾さんとのプレーオフを制した後、朝日新聞などの観戦記でおなじみのM浦馬車馬記者から体調管理などを聞かれた際、難行苦行を強いられる“指導碁打ち放題”に触れて、「体力的にはきついけれど、皆様から元気をいただける喜びには替えられません」と答えたらしい。

この記事を新聞で読んだとき、ファンの一人としてうれしかったのは当然だが、同時に、今さらながら「棋士とは孤独なものだ」と感じた。身内、師弟、友人を問わず、“自分以外の周囲はすべてライバル”。勝者の数だけ敗者がいる。何連勝してもリーグ入りできなければ目立たない。仮にリーグ入りを果たしても挑戦者になれなければ意味がない。挑戦者になれてもタイトルを獲らなければ「惜しかった」でおしまい。イチローだって松井だっていつも打てるとは限らない。勝負の結果ばかり求められれば神経が持たない。天才ばかりの集団の中でいったん自信喪失に襲われたらなかなか立ち直れないかもしれない。

そんな時、仲間同士で慰め合ったり悪酔いしたりするより、ファンと積極的に交流したらどうだろう。思い起こすのは、段位がなかなか上がらないあるベテラン女流棋士が吐露したネット発言。「勝率は悪いしもちろんタイトルなんて高嶺の花。こんな私でもファンの皆様は“女王様”扱いしてくれる」――。発言を見たのはもう何年も前だが、棋士の辛さや喜びが率直に語られているようでとても印象に残っている。ファンならもちろん好きな棋士の成績に一喜一憂する。でもそれ以上に棋士の人間性に共感したいのだと思う。

超一流の覚さんから実績が上がらない低段棋士まで、プロ棋士を1個の人間としてみれば誰しも傷つきやすく弱く儚い存在(例えば関西棋院ホープの中野泰宏九段のサイト9.10付をご覧ください)。それでもアマから見れば石に命を賭けた“悪魔のように強い勝負師”。電車の中などで見知らぬアマから「あなたはプロ棋士の○○さんですね、応援しています」「この間の勝負はすごかったですね」「あなたの棋譜を並べています」などと話しかけられれば誰だってうれしいだろう。いわんや「あなたのファンだ」と告白されたらふつふつと勇気が湧いてくるに違いない。

そう言えば、碁を始めたばかりの級位者の女性から先日「棋士のファンクラブはあるのか」と聞かれた。はて、どうだろう。当然あって不思議はないが、具体的な組織や活動内容はあまり聞いたことがない。アマは自分の想いをプロに伝えたい。プロはアマから力をもらいたい。そんなニーズとシーズはあるはずなのに、手軽に交流し合う場や手段が今ひとつはっきりとしない。できればこうした交流が碁界を発展させるためのビジネスに広がることが望ましい。それについて私見をご披露して皆様のご意見を伺いたいが、いつもの悪い癖で長くなった。次回にまとめさせていただく。

亜Q

(2005.9.15)


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