勝率を考えず心で決断するとき

 『NEWSWEEK』誌日本語版2007年6月27日号に、世界のチェス界に長年君臨したガリル・カスパロフ氏の「ロシアのためにチェスを捨てた」弁が掲載されていた。長くなるが骨子を紹介させていただく(以下、多少の修正を含めて部分的にはしょりながら引用します)。

 スペインのリナレスで開かれた大会で通算9回目の優勝を決めた2005年3月10日、記者会見の場で私は何の予告もなしに、30年に及ぶプロ生活に終止符を打つと宣言した。そして私はたった1日で、チェスの世界王者からロシアの民主化運動に苦闘する政治活動家に転身した。

 引退を決断するに際して決して衝動的ではなかったし、特別に劇的な瞬間もなかった。自分が下すすべての決断は、その時点までに送ってきた人生が決める。6歳で始めたチェスは私の人生そのものであり、これからも私にとって重要なものであり続けるだろう。チェスで成し遂げられるものはすべて達成した。41歳で引退したが、あと5年はトップの座を守れただろう。しかしチェスの世界で自分が不可欠な存在だとは次第に思えなくなり、チェスよりもっと意義のあることをやりたいとの想いが強くなった。

 わが祖国ロシアは重大な危機に陥っている。ウラジーミル・プーチン大統領は新たな警察国家を築き上げ、ソビエト時代のやり方を次々と復活させている。メディアの監視、傀儡的な司法制度、演出された選挙などに。混乱したエリツィン時代に見えていた民主主義のかすかな光は完全に消し去られようとしている。

 一方で、ロシアの反体制勢力は青息吐息の状態。私はこれまで少しでも力になりたいと様々なレベルで政治に関わってきたが、もはやそうした片手間の闘争では真の影響力は持てない、政治を私の人生にするしかないと気がついた。ソビエト連邦の組織的な抑圧の下で育ち、体制の内側と外側から戦い続けてきた私は今、連合市民戦線「もう一つのロシア」を率いるリーダーとして毎日を送っている。

 政治の世界に入って2年。王者から敗者へ一気に転落した気分はどうか、身の安全は大丈夫かとよく聞かれる。事実、私は4月14日に平和行進を始めようとして大勢の人と共に逮捕された。しかし仲間の多くと違って、私は治安当局から野蛮な攻撃は受けなかった。当局の過剰反応を引き出せたことは、私たちにとって勝利と言える。痛みを伴う勝利ではあるが、ガンジーの言を借りれば、彼らは我々を打ちのめすかもしれないが、もはや我々を無視できなくなった。

 私は最初から、運動が成功するチャンスが限りなく少ないこと、自分に危険が降りかかる可能性があることを十分に承知している。しかし、勝てる可能性が低い時や、より安全な選択肢がある時に挑戦から降りることは、チェス盤の上でも人生でも私のやり方ではない。道徳的に譲れないことがあるなら、勝率は計算しない。

 チェスプレイヤーらしからぬ発言に聞こえるかもしれないが、頭では下さない決断もある。心で下す決断があるのだ(以上、引用終わり)。

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 カスパロフ氏の話を聞いて真っ先の思うのは、平和な日本のありがたさ(欧州で日々奮闘努力されているチーママもいつぞや指摘されていた。いつもノーテンキな自らが恥ずかしい!)。そしてもう一つは、「囲碁の第一人者も氏と同じ選択を取れるだろうか」という疑問。コンピューターソフトの進歩を受けて知的ゲームとしての“限界”を感じさせるチェスと異なり、人間が打つ碁は神様と比べればまだはるかに弱いだろうし、深さも広さも果てしない盤上宇宙の世界。天国とも魔界とも喩えられそうな碁の魅力にいったんのめり込めば、簡単には捨て切れないのではないかと思われるのだが。

亜Q

(2007.6.26)


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