負け唄倶楽部

 猛暑が続いていた頃、千寿会碁友のチカちゃん(元文壇名人2期!)からいただいた招待券を握り締め、日比谷の東京會舘で開かれた「芥川賞・直木賞贈呈式」を覗いたことがある。会場には妙齢の美女に囲まれて写真撮影にいそしむ渡辺淳一センセイ(近作に「鈍感力」「愛の流刑地」など)、生の迫力をプンプン撒き散らしていた林真理子女史(昔ルンルン何とかで受賞された)、乙女の名残が結構可愛らしい高樹のぶ子さん、歌舞伎や落語界の有名人など、ざっと7、800人の客で大賑わいだった。

 とりわけ衝撃的だったのは、最初に受賞者挨拶に立った芥川賞の諏訪哲史さん。初めは関係者への謝意、次に「ボクは直木賞を獲られた(自分より)年配の松井今朝子さんの前座です」などと話し始めたから、私はすばやく飲み物と食糧確保に熱中し、話半分に聞き流していた。ところが諏訪さんはここで仰天の反撃に転じた。「この場で『舟唄』を歌いたいと思ったが、『ダンチョネ〜』まで歌えるかどうか自信がないから、やっぱりこれにする」とお客さんに手拍子をねだり、やおらがなりたてた(毎度のことながら、歌詞は烏鷺覚えです)。

 「私バカよね〜おバカさんよね〜後ろゆび後ろゆび指されても〜あなた一人に命を賭けて〜耐えてきたのよ〜今日まで〜」

 寿司を口にくわえたまま、私はのけぞった。諏訪さんはこの日が来るのを信じて刻苦勉励を重ねたのだろう。その思いの丈を普通の挨拶にとどめず、歌に託して発散されたのだ。碁で言えば「勝利宣言」。まさに受賞作そのままの「アサッテの人」にふさわしいやり方ではないか!おそらくここで彼はハニカミの笑顔を残し、挨拶の締めくくりとするだろう——世の中の酸いも甘いもかみ分けた私はそう予測し、微笑みをたたえてビールのグラスを取った。しかしそれはアサッテの考えだった。手拍子4つほどの間を置いて彼は断固歌い続けたのだ。

 「秋風が吹く港の町を船が出て行くように〜私も旅に出るわ〜明日の朝早く〜」

 何と彼は、「艫綱(ともづな)を解かれて今や雄飛せん」との決意表明までやってのけた。思わず私は拍手喝采し、置いたビールがわからないまま、そこらにあったグラスを一気に飲み干した。

 贈呈式からそろそろ1ヶ月になろうというのに、今頃なぜこんなことを思い出したのだろう。我が敬愛するあどさんが囲碁を中心にご自身が書き綴られている中年専用ブログに「負け唄倶楽部」と題して、「ひょっとすれば、碁を打ちながらあるいは負けたあとに特定の唄が頭をよぎるヒトは意外に多いのかもしれない。この際負けたあとのテーマソングを披露しあう『負け唄倶楽部』でも結成して、盛大なパーティーを開くのも一興かもしれない」と提案されていたからだ。万年ザル碁の私にとって、カッコいい「勝利宣言」より「負け唄倶楽部」の方がピンと来る。

 敗局後のボヤキと言えば、棋聖8連覇、名人6連覇(だったかな)の小林コーイチ大先生は「お菓子買ったか」「バカダッタの盗賊」と意味もなく繰り返すとの噂(亡くなられた元理事長の加藤正夫さんや愛弟子のオヤオヤ九段ら)。ひょっとすると、即興のメロディー(例えば「お菓子買ったか」は『星のフラメンコ』『北国の春』『バラが咲いた』『ハートブレイクホテル』などの冒頭部分、「バカダッタの盗賊」は『あの日に帰りたい』『舟歌』の最後の部分)がついていたりして。

 棋聖一つを残してグランドスラムを逃がされた加藤大棋士は「バカバカシー人生」と「ヘンチョーカトリセンコー」が超有名。前者はそのまんま『時には娼婦のように』、後者は『アカシヤの雨がやむとき』または『見上げてごらん夜の星を』の出だしの部分を使われていたのではないだろうか。オヤオヤ九段は痛恨の敗着で去った勝利に張り裂けそうな思いをぶつけ、ごひいき小田和正の『サヨナラ』をきっと歌うことだろう。

 対局相手によっては「木曾の大竹サンはなんじゃらほい」(木曾節)とか「ブルー佐藤」(もちろん『ブルーシャトー』から)、「羽根が死ぬとき、チョー(趙、張ら)も死ぬ」(『花と蝶』)、「ごめんね(秋山)ジロー」などもトイレで歌われたりするのではなかろうか。もっともこれは「負け唄」と言うより「呪い唄」または「ゴッツアン唄」かもしれないが。

 このほか、「ツバメや鳩や、ましてや女にはなれない」とジョー兄が絶唱される『カモメはカモメ』をはじめ、「どうにも止まらない」(リンダの同名の歌から)、「ベイビー、俺の負けだ」(『悲しき願い』)、「私の人生暗かった」(『圭子の夢は夜開く』)、「冗談だよと笑って欲しい」(『恋人よ』)、「死に過ぎたのね」(もちろん『知りすぎたのね』から)、「そっとお休み」(『そっとおやすみ』)「ちょい待ち草のやるせなさ」(『宵待ち草』)なども多くの棋士諸兄の共感を集め、長い年月を密かに歌い続けられたに違いない。

 何ごとにもフェアな私は、他人をあげつらうばかりでなく自らの恥も告白せずにはいられない。実は私は敗戦の後ではなく、負けつつある局面で次々にメロディーが浮かんでくるのだ。まずは絶望的な場面で叫ぶ「死にたくないの」(菅原洋一の大ヒット『知りたくないの』から)、「いつも幸せ過ぎたのに」(『さらば恋人』)、そのまんまリンダの「困っちゃうな」、「我は逝く、青白き頬のままで」(『昴』)、「利いてはもらえぬこのノゾキ、涙こらえて打ってます」(『北の宿から』)、「それはあんまりです」(『ソラメンテ・ウナベス』をもじって)エトセトラ。

 多少脈がありそうなときは自らを鼓舞し、相手に念力(呪いの言葉)を送る。定番は『We shall overcome』、「最後にワイは勝つ」(『愛は勝つ』)、『私祈ってます』、『川の流れのように』など。しかし私は因果な性格なのか、ワケワカメな言葉を口ずさむことが多かった。例えば『チャルダッシュ』のメロディーに乗せて「ナンダカナンダカナンダカナンダカ・ワカダンナ」とか、「チンチムニーチンチムニー間違えろ」(映画「メリーポピンズ」から)など。

 最後に、不覚にもこの文章を最後まで読んでしまわれた変人諸兄の皆様に心からの忠告。昭和の大棋士シューコーさんは非勢に陥ると「エーエ、お父ちゃんは疲れたヨ」とぼやき、将棋の加藤一二三九段は形勢が良くなると賛美歌を口ずさんだ。この際、貴兄も何か“愛唱歌”をもたれてはいかがだろう。適当なものが見当たらなかったり、二番煎じはいやだと言われるなら、別々の好きな言葉とメロディーを独創的に組み合わせるのだ。これこそが碁を強くする要諦だと思うのだが、別に確証はない。

亜Q

(2007.9.17)


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