我が妄想〜チクン大棋士考・その2 「テレビ解説」

もうずいぶん昔のことになってしまったが、出世街道をまっしぐらに駆け上りつつあった若き日のチクン大棋士がテレビ早碁戦の解説に登場したことがある。対局者名はうろ覚えだから控えるが、当時(今でも?)の若きよきライバルだった。解説の詳細な内容はもちろん覚えていないが、何しろチクン大棋士の予想が次から次へと外れる。すっかり切れたチクン大棋士は「これは碁ではない」といった意味の言葉を投げ捨て、解説を暫時放棄した(例によって詳細なニュアンスは違っている部分があるかもしれませんが、概ねこんな具合だったので続けます)。

若手同士の勉強会などでの打ち碁検討は歯に衣着せず、まことに容赦ないものらしい。奇麗事やおためごかしを並べても何の勉強にもならないし、一様に熱い血(碁の神様?)に突き動かされているからだろう。この時若きチクンは思わずこの癖が出てしまったのだろうか。でも放送の場でアマチュア相手の解説でこれをやってはまずい。仮にすべてチクン大棋士の言う通りだったとしても、同僚のプロ棋士をアマ視聴者の前で恥をかかせてはいけない。王座の就位式の時だったか、私はこの話題を当の本人にぶつけようとしたことがある(幸いご本人はお忘れだろうが)が、すぐに話をかわされてしまった。きっと大棋士本人が最も反省し、今なお心を傷つけているのかもしれない。

しかし実は私は、「こういう解説もあっていいのではないか」と彼に伝えたかったのだ。誰が打っている碁だろうと、碁に対する愛情、あるいは真理に対する畏敬、あるいは言葉はきつくても自分の心情を飾らずありのままに伝えようとする若きチクンに、その時私(もちろん私も若かった)はきっと惚れたのだろう。そう、ちょうちん記事だらけの新聞やテレビはくそ食らえ(生来温厚な私が無理して過激を演じている)!ほとばしる本音の辛口解説こそが、やるせないザル碁党のカタルシスになるのだ。

その頃からチクン大棋士の言動は過激の度合いを強めていくような気がする。いろいろな場面で「ゴルフをやっている連中には負けるわけにはいかない」と先輩諸氏をあからさまに批判したり(今では当のご本人がゴルフべったりらしいが、そんなルーズさ、おっと失礼、君子豹変の姿勢も融通無碍なタイプの私には好ましい)、名著『地と模様を超えるもの』では「負ければ絶望しかない」と言い切ったりしている。棋士人生の中で彼が闘争本能を最も燃えたぎらせたのはおそらくこの時期だろう。

亜Q

(2006.6.8)


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