チクン大棋士の麻薬

覚九段が富士通杯本戦入りを決めた。昨年夏、8ヶ月ぶりの復帰を前に公約した 「国際棋戦優先」をさっそく実現してくれた。枠抜けの相手は棋聖戦3年連続 7番勝負を戦った宿敵、趙治勲王座・25世本因坊。言うまでもなく現在最強棋士の一人。 個人的には日本代表として欠かしたくない存在ではあるが、組み合わせは皮肉だった。

その趙が、最近のNHK杯トーナメントで散々な負け方を喫したらしい。 当代随一の名解説者石田芳夫の予想をことごとく外し、「まさかこれはない」と 断じた着手を繰り返したと言われる。これは、プロ棋士なら誰しも避けられない 単なる“変調”だろうか。

趙は公開囲碁対局では解説者を意識して着手を選択するとの説がある。 この解説者ならこういう手を推奨するだろう。でも本当にそうなのか。 違った打ち方があるのではないか。少々迷ったにせよ、結局趙は断固として独自の道を選ぶ。 誰よりも知り尽くしている損得や相場などというものは破壊するためにあるとばかり。 天邪鬼で稚気を愛する趙ならではの風評だろう。就位式やパーティーでの彼独自の挨拶も評判が良い。 常識や習慣になずんだきれいごとは彼の辞書にはない。 意表をついた観点、ユーモアと皮肉をまぶした針の一刺しが聴衆の心をつかむのだ。

この反骨精神、時間の無い早碁に発揮されるならしばしば間違えて相手を喜ばす。 挨拶なら当意即妙、聴衆を喜ばす。しかし大きな対局、それも長時間の番碁でやられたら 相手は迷惑だろう。膨大な読みに裏付けられた盤上の着手以上に恐ろしいのは、 趙の世界に否応無く相手を引きずり込む魔力だろう。 強い趙があれだけ考えて予想を外した“変な手”を打ってくる。 “変”なのは相手の着手ではなく、むしろ自分の頭ではないかーーと。

事実、彼と番碁を争った対局者はほぼ一様に“壊されて”いる。 その典型が、覚九段や王立誠棋聖・十段と共に若手四天王と並び称された片岡、山城両九段。 片や石田コンピューター2世、片や中京のダイヤモンドと言われ、 いずれも七番勝負を目いっぱい戦った末、惜敗した。問題はその後にある。 挑戦時の飛ぶ鳥を落とす勢いがいつしか影を潜め、鳴かず飛ばずの時期が長く続いた。

この被害は、本人も認めるように覚九段にも及んだ。 棋聖に挑戦してタイトルを奪取した1年目は自分でも不出来な碁が多かった。 言わば“不思議の勝利”。翌年はすぐに挑戦者として勝ち上がってきた趙を迎え撃つ立場。 さらに3年目は逆に失冠した覚九段が予選を勝ち抜いて挑戦者になった。 「碁の内容は1年ごとに良くなった」が、「その間に自分の碁が壊れていった面もある」と 告白する覚九段自身、その後数年間雌伏の時期を強いられた。

覚九段によると、“破壊の洗礼”を比較的浴びなかったように見えるのは 立誠、趙善律、王銘エンら海外出身の各棋士。 いずれも棋聖、王座、本因坊などの就位をきっかけに実力・地位を安定させた。 もしかすると、ここに日本人棋士のひ弱さがあったのではないか。

覚九段の碁の再構築作業は、不幸な事故の間も続いたようだ。 趙が投じる“変な手”は少しも変ではない。必ず何らかの意図がある。 わかりにくいし、神様から見れば疑問手もあるかもしれないが、 少なくとも既成の常識を超えた碁を創り出すための問い掛けだった。

“破壊の毒薬”から棋力向上の“妙薬”を抽出した覚九段の富士通杯が楽しみである。

K

(2002.1.24)


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